東京電力福島第一原発から出る処理水について、開会中の福島県議会で自民党から教育現場で「汚染水」と呼ぶことを問題視する意見書が出されている。「科学的な根拠に基づいた適切な教育」を求めているが、識者は「教育への政治介入」との認識を示し、現場からも「萎縮を招く」との声が上がる。
意見書は「教育現場におけるALPS処理水の理解醸成に向けた取組の更なる強化を求める意見書」。自民党が2月28日、県議会2月定例会に提出した。今月18日の商労文教委員会で可決された後、翌19日の本会議でも自民党などの賛成多数で可決される見通しだ。立憲民主党が中心の会派「県民連合」の数人は、本会議で退席する方針。
意見書は1月下旬の日本教職員組合(日教組)の教育研究全国集会で、授業実践を紹介した神奈川県内の組合員のリポートに、処理水が「汚染水」と記されていたことを問題視。「『核汚染水』と称して虚偽の情報を世界中へ発信している中国と同様である」とし、「純粋な子どもたちに学びを教える現場での事案であることから、看過できない問題である」とする。
国際原子力機関(IAEA)が処理水海洋放出を「人及び環境に対し無視できるほどの放射線影響」と評価していることや、政府が「正確な情報を国内外へ向けて発信し理解醸成に努めている」ことを挙げ、「科学的な根拠に基づいた適切な教育が行われるべきだ」と主張。政府に、全国の教育委員会に対して「処理水について分かりやすい適切な資料等の活用について、強く求めていくこと」を要望している。
意見書の「引き金」となった組合の担当者は、取材に「処理水を『汚染水』だと、一方的に教え込んでいるわけではない。ただ、もう少し言葉遣いに気をつけるべきだった」と話す。当該リポートには「汚染水(処理水)」「処理水(汚染水)」との記載が数カ所あるほか、授業で用いたワークシートでは「処理水」が穴埋め問題の答えとされている。処理水を「汚染水」と表記したのは1カ所だけだった。
今回の意見書をめぐっては、県内の教職員から「結果的に教職員を萎縮させる」との懸念の声が上がる。ある中学校教諭は「処理水を汚染水と呼ぶ科学者もいる。生徒がいろんな考えを自分の中に取り入れて消化し、自分の考えを持つというのが多様な学びのはずだ」と話す。
15日には、意見書の取り下げを求める県民有志が県庁で会見。会津若松市の片岡輝美さんは「東電という、いち民間企業が行っている作業を児童生徒に理解させようとするのは『教育』ではない」と訴えた。
中嶋哲彦・名古屋大名誉教授(教育行政学)は意見書について「教育基本法が禁じる教育行政による『不当な支配』を後押ししようとするもので、学校や教師への威嚇的効果を持っている。ひとつの政治介入だ」と指摘。「意見書には、処理水と呼ばなければいけないという論拠は、国の政策だから、ということしか書かれていない。だが、学校は政府の広報機関ではない。政府の主張も相対化して考える力をつけることが民主主義の基礎であり、学習指導要領が推奨していることだ」と話す。
自民党福島県連の幹部は意見書について「あくまで科学的に正確に言って下さいというだけで、政治介入ではない。基本的な考え方の問題だ」と話す。
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龍谷大・丹羽徹教授(憲法学)の話 意見書は、実質的には教育現場での取り組みを求めており、具体的な教育内容への介入と読める。直接的でなくとも、そういった効果があるようなことをすること自体、本来、禁止されている。教科書検定で、日本政府の立場や意見を教えるように求める構図と同じといえる。
1976年の旭川学力テスト事件の最高裁判例によれば、教育内容について、国や行政が決めていいのは「大枠」だけだ。例えば原発事故に関わることについて適切に教えて下さいと言った時、どんな教材を使い、どう教えるかは、現場の先生にゆだねられている。改正教育基本法でもこの考え方は有効だ。
処理水については、政府の安全基準が設けられているとしても、基準そのものを疑ってみるというのが、学習指導要領にもある「科学的に考察する」ということではないか。
教育が政治にのみ込まれていき、政治に都合のいい教育が行われたという戦前の反省が、戦後の教育の出発点となった。それが今、逆戻りしているような印象を受ける。
【朝日新聞】