2024年元日、能登半島を襲ったマグニチュード(M)7・6の大地震。最大震度7を記録した石川県志賀町には北陸電力が1993年から運転する志賀原子力発電所がある。
1、2号機とも東日本大震災以降、長い間、停止したままで、3メートルの津波が襲来、変圧器が一部破損し、核燃料プールから水があふれ出たが、大事には至らなかった。が、炉心溶融(メルトダウン)のような大事故を起こすと国家をも滅ぼしかねない「亡国リスク」を抱える原発が、大地震の脅威と背中合わせに存在するという、「地震大国ニッポン」ならではの厳しい現実を、正月から見せつけられた。
今年は日本の原子力の行方を大きく左右する東京電力柏崎刈羽原発の再稼働が待っている。新潟県や柏崎市など地元の同意を得て無事に運転にこぎ着けることができるか。「原発と地震」の相克を考えると、予断を許さない状況になったといえよう。
北陸電力によると、1日の地震によって志賀原発は震度5強の揺れに見舞われ、1号機の原子炉建屋地下2階で399ガル(ガルは加速度=揺れを表す単位)を記録した。震度7になった志賀町では2826ガルを観測しており、原発での揺れは大幅に小さかったようだ。
表層地盤にたつ一般の建造物と違い、日本の原発は強固な岩盤の上にたっている。その分、大きな地震が起きた場合でも揺れは周囲の建物より数分の1で済むとされる。志賀原発の場合、福島第1原発の事故前から最大600ガルの揺れを想定し対策をとってきた。
いくら地震が多発し活断層が近くにあるといっても、それが原子炉直下に存在しない限り、日本の原発は動かすことは可能だ。これまでの地震歴などから最大の揺れを想定した基準地震動をはじき出し、それに耐えうる対策を講じれば問題ない。福島第1原発事故後、原子力規制委員会ができ「世界でもっとも厳しい」とされる安全基準が、能登半島地震で揺らぐことはなかった。
一方、今回の地震は能登半島周辺でここ数年続いた群発地震の誘発によるものとの見方もあり、約150キロにもわたり断層が破壊したとみられる。政府の地震調査委員会は発生の翌日、未知の活断層が動いた可能性も示唆した。原発周辺地域の揺れを科学的に想定する難しさがあらわになった。
ましてや震度7という最大の揺れが原発が立地する場所で記録されたことへの衝撃度は計り知れない。改めて原子力への不安をかき立てることになった。
原発を推進するか、待ったをかけるか。日本の原子力政策を考える上で「原発と地震」は古くて新しいテーマだ。11年、東日本大震災による福島第1原発の事故を巡っては、巨大津波による電源喪失だけがメルトダウンを引き起こした原因なのか、ほんとうに揺れに対して原子炉は問題はなかったのかなどが争点になった。
先立つ07年7月にはM6・8で最大震度6強の中越沖地震が柏崎刈羽原発を直撃した。3基は定期検査で停止中、残り4基が自動停止から冷温停止し事なきを得たものの、一部で設計時の想定を大きく上回る加速度を記録し機器類は破損した。
そんな柏崎刈羽原発について、原子力規制委は23年末、事実上の運転禁止を2年8カ月ぶりに解いた。テロ対策の不備など相次ぐトラブルで東電に原発を動かす資質も問われたが、何とか再稼働への道筋ができた。
地元の柏崎市は7基が集中することを懸念し、旧型の1〜5号基の廃炉を求めてきた。東電は19年に1基以上の廃炉を検討する考えを表明はしたものの、財務上の問題もあって地元の要望に対し「満額回答」の決断は難しい。
柏崎刈羽原発の再稼働は、岸田文雄政権が原発推進にかじをきった22年夏以降に前のめりになったのだが、「派閥とカネ」の問題に終わりがみえないなかで、政治に当時の力も熱意もみられない。
地震大国で原発を前に進めるには、国と電力会社が協力し、安全以上に安心を地元や社会に醸成していかねばなるまい。24年早々、原発立地を襲った大地震は日本の原発政策を大きく揺さぶる。
【日本経済新聞】