1969年に新潟県の柏崎市と刈羽村などの議会が原発誘致を決議して、54年が過ぎた。東京に拠点を置く東京電力が営業運転を始めた柏崎刈羽原発は2023年12月現在、全7基が停止中だ。発電した電気の大部分を首都圏に送り続けた世界最大級の原発は、県民に何をもたらしたのだろう。自治体は原発設置に伴う税収、地域には交付金で公共施設も整備された光の部分がある一方、2002年のトラブル隠し以降、東電自らが県民の信頼を裏切る負の事態も相次いだ。福島第1原発事故、その後の柏崎刈羽原発でのテロ対策上の重大な不備…。問題が起きる度、県民は原発の議論を強いられてきた。一体誰のための原発なのか。新潟から原発を巡る疑問を考えていく。プロローグとして住民避難の在りようを問う。=敬称略=(10回続きの1、住民避難編「複合災害」の上)
2022年12月19日。東京電力柏崎刈羽原発から30キロ圏に全域が入る小千谷市では、早朝から雪が降り続けた。
「停電だ」。小千谷市北部の市街地、片貝町に暮らす安達宏之(62)の自宅で突然明かりが消えた。キャンプ用のライトを取りに屋外倉庫へ向かうと、辺りには1メートルほどの積雪。雪をのける場所はなく、車を出すこともできなかった。
まきストーブで暖を取っていると、地域内で別居し停電で暖房手段がなくなった息子夫婦が、2歳と0歳の孫を連れてきた。保存してあったカップ麺や缶詰を食べ、スマートフォンの電池残量を気にしながら妻や息子夫婦らと身を寄せ合って過ごした。
12月19日は小千谷市中心部や長岡市との境付近など広い範囲で混乱が生じていた。幹線道路の国道17号でスタックや事故のため動けなくなる車両が続出。夕方のラッシュも重なり大規模な車両の立ち往生が起きていた。
片貝地域にも幹線道路の混雑を避けた車が流入し、断続的に渋滞が生じた。張り巡らされた消雪パイプは停電で動きを止め、生活道路はみるみる雪に埋もれていった。
小千谷市には災害救助法が適用され、立ち往生で取り残されたドライバーの救出を目的に自衛隊が派遣された。片貝地域の状況も「人命に関わる」として、市は自衛隊に、例外的に除雪作業を要請した。
安達の自宅で電気が復旧したのは翌20日の深夜。実質1日半の停電は「記憶にない経験。本当に長く感じられた」。
いまは別の不安がある。柏崎刈羽原発の重大事故と雪害が重なったらどうなるのかだ。2011年3月の東電福島第1原発事故の被害は、立地自治体にとどまらず広範囲に及んだ。
30キロ圏ならば大丈夫だとは、安達には思えない。「こんな雪になれば、まず逃げられない。食料やまきがなければ家にこもり続けることもできない。不安しかない」
事故で放射性物質が放出されたらどうなるか、幼い孫たちのことを考えると被ばくリスクも心配だ。「結局、田舎の私たちがリスクを押しつけられている。憤りを感じる」
柏崎市を含め豪雪地を抱える新潟県。複合災害に不安を感じる住民がいるのは、原発立地地域に限らない。
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【新潟日報】