政府は13日、首相官邸で東京電力福島第1原子力発電所の廃炉に関する関係閣僚会議を開き、原発敷地内にたまり続ける処理水を海に放出する方針を決めた。処理水はトリチウム(三重水素)を含むが、科学的には安全と専門家が分析し、国内外の原発でも海洋放出している。原発事故から決定まで10年かかったのは、東電の苦境ぶりも映している。
実際の放出は2年後
「(政府による)判断で廃炉を安全かつ着実に前に進めていくものと考えている」。東京電力ホールディングスの小早川智明社長は関係閣僚会議に出席後、記者団にこう語った。「(処理水をためる)タンクで敷き詰められてしまった(福島第1原発の)敷地で、これからより厳しい(溶融燃料の)デブリの取り出しなどを行っていく」と話した。
政府の決定を受けて、東電は放出に向けた方針を策定する。放出の手順について原子力規制委員会の手続きを進め、配管の設備工事などを終えて実際に放出を始めるのは2年後になる。
福島第1原発は2011年3月の東日本大震災の津波で炉心溶融事故を起こし、高濃度の放射性物質に汚染された水が発生している。東電が専用装置で主な放射性物質を取り除くが、処理した水には放射性物質のトリチウムを含む。トリチウム水は水よりわずかに重いがほとんど区別がつかず、現在の技術では水と混ざると分離することが極めて難しい。
海外原発もトリチウム水は海に放出
日本は通常の原子力施設で発生したトリチウム水を海洋放出する際の規制基準を同6万ベクレルとしている。国際的な被曝(ひばく)基準を定める国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告が線量の限度を年1ミリシーベルトと設定しているのを踏まえて決めた。仮に毎日2リットル飲み続けても健康影響が出る水準を十分に下回る。東電はタンクにたまる処理水を海洋放出する際に、放出前に処理水を海水で100倍以上に薄め、1リットルあたり1500ベクレル未満にする。国の基準の40分の1の水準だ。
各国のトリチウムの基準値は異なるが、飲料水の上限値の基準は、例えばオーストラリアで1リットルあたり7万6000ベクレル、世界保健機関(WHO)が同1万ベクレル、ロシアは同7700ベクレルだ。WHOが出している国際基準の7分の1の水準で、日本の海洋放出の基準よりも飲料水の基準の方が緩い国もある。
トリチウム水は国内外の通常の原発や再処理工場でも発生し、各電力会社などが海水で薄めて各国の基準値以下にしたものを海に放出している。実際、中国や韓国でもトリチウムを含む水は海に流している。経済産業省によると福島第1原発のタンクにためているトリチウム量は860兆ベクレルで、韓国の月城原発が6~7年で放出する量に相当する。フランスの再処理工場であれば1年未満で放出している。これらの国でも環境影響は確認されていない。
トリチウムは宇宙から降り注ぐ放射線によって自然に生じる物質でもある。土壌や大気中にはトリチウム以外の放射性物質もあるため、処理水の海洋放出による環境影響は無視できるとされる。国際原子力機関(IAEA)のグロッシ事務局長は20年2月、処理水の海洋放出について「科学的な分析に基づくもので、環境に影響を与えない」と指摘した。
韓国、台湾、中国など農産品の輸入停止継続
ただ、香港、中国、台湾、韓国、マカオ、米国の6カ国・地域では、東北や関東といった一部の都県で生産された食品の輸入をいまも止めている。日本政府は「輸入規制を講じる科学的根拠はなく、継続している国・地域には撤廃を要求している」とするが、原発事故後に輸入規制を導入したのは54カ国・地域で、そのうち3割の15カ国・地域で輸入停止や検査証明書の要求といった規制が残る。
科学的に安全と分析される処理水の放出を決めるまでに10年間の時間がかかり、なお地元の風評被害への懸念や海外の反発があるのはなぜか。背景には原発関連の手続きを巡る東電への不信感や、東電に任せて動きが鈍かった国の存在がある。
福島第1原発では11年の事故直後から、基準値を上回る放射性物質を含む汚染水が海に漏れ出す事例が相次いだ。13年には汚染水が海へ漏洩したことを公表するのが1カ月以上遅れ、韓国は水産物の輸入禁止措置をとった。17年7月に東電の当時の川村隆会長が「(海洋放出の)判断はもうしている」とインタビューで答えたと報じられると、全国漁業協同組合連合会は「漁業者と国民への裏切り行為」と抗議。福島県選出の当時の吉野正芳復興相も放出反対を表明し、東電は火消しに追われた。
処理水の放出は東電だけでは決められない案件となり、経産省の検討会や、政府の小委員会に格上げして議論を続けてきた。東電や国がもっと丁寧に関係者の理解を得るプロセスを踏み、科学的な安全性や薄めて放出することの情報発信を徹底すれば状況は違ったかもしれない。
3月時点で1061基のタンク、廃炉作業の支障にも
処理水をためつづける弊害は顕在化している。福島第1原発の視察に訪れると、円柱型の巨大なタンクの多さに多くの人が驚く。東電は発生した処理水を敷地内のタンクにためてきた。その数は3月時点で1061基に上る。福島第1原発の敷地南側に所せましと並び、今後の廃炉作業に必要なスペースを確保しづらい状況となっている。
廃炉作業には30~40年かかる。その中でも今後迎える山場の1つは燃料が溶けて固まったデブリの取り出しだ。デブリは放射線量が高く、作業員の安全を確保しながら放射性物質が外に漏れ出さない厳重な保管が必要になる。東電の計画では一時保管施設に6万平方メートルの土地が必要という。政府と東電は海洋放出でタンクを減らし、こうした廃炉作業を円滑に進める考えだが、長期にわたって放出するためタンクはすぐには減らず、支障がどう出てくるかは不透明な部分もある。
21年以降も福島第1原発の地震計の不具合や、柏崎刈羽原発(新潟県)の核物質防護の不備などの不祥事が相次ぐ。海洋放出に反対する全漁連の岸宏会長は7日、東電に関して「安全性担保について極めて強い懸念を抱かざるを得ない」と語った。
処理水の海洋放出は廃炉作業期間の30年程度続くと見込まれている。風評被害を抑えて漁業者らの理解を得ながら処理水の対処を続けるには、国内外の不信感を東電が払拭し、東電の株主である国がこうした改革をどう主導していくかも重要になっている。【日本経済新聞】