福井地裁の判事として2014年5月に関西電力大飯原発3、4号機の運転差し止めを命じた樋口英明さん(68)。定年退官後は各地で80回ほど講演し、原発の危険性を訴えてきた。東京電力福島第一原発の事故から10年となる今年3月、原発への思いを一冊の本にまとめた。タイトルは「私が原発を止めた理由」だ。
――全国各地で講演してきました。
裁判官が自分の関わった事件について話すことは極めてまれですが、専門家でもない私の目から見ても、原発の危険性は明らかでした。知ってしまった以上、それを伝えるのが私自身の責任だと思いました。
――原発の危険性とは何でしょうか。
原発が地震に襲われた際、ウラン燃料の核分裂反応を「止める」こと、電気と水でウラン燃料を「冷やす」こと、格納容器の中に放射性物質を「閉じ込める」ことが必要です。このうち、一つでも守らなければ大事故になります。
原発が危険というのは二つの意味があります。まず、事故が起きたときの被害が大きいことです。
福島の事故では数々の奇跡が起きました。2号機では本来あってはいけないのですが、格納容器から圧力が漏れ、圧力破壊による大爆発を免れました。点検中だった4号機では使用済み核燃料貯蔵プールの水が干上がることが心配されていましたが、隣の原子炉ウェルと呼ばれる空間に水が張られ、それが流れ込んでいました。プールとの間に仕切り板はあったが、そこに本来あってはならない隙間が開いていました。さらに、原子炉ウェルの水を3月7日までに抜く計画だったが、工事の遅れで張られたままになっていたのです。こうして、東京都のほぼ全域を含む東日本壊滅の現実化を免れました。
二つ目の危険は、事故の発生確率が高いことです。
大飯原発の裁判で原発の耐震性を争点にしました。私の自宅でも3千ガル(揺れの勢いを示す加速度の単位)以上で設計されているにもかかわらず、当時の大飯原発はそれをはるかに下回る700ガルでした。全く見当外れの耐震性です。2000年以降、700ガル以上の地震動をもたらした地震は全国で30回ありました。原発は平凡な地震にも耐えられないのです。
被害は大きいし、事故発生確率も高い。原発は「パーフェクトな危険」と言えます。
――著書では司法の責任も追及しています。
司法の役割として最も大事なのは事前救済です。つまり、危険を予防すること。人格権に基づく国民の命と暮らしが侵害される危険性がどの程度あるかを考えないといけない。原発の裁判も同じです。裁判官が危険性にきちんと向き合えば、差し止めは当然の判断です。極めて簡単な論理なんです。
――原発の再稼働が相次いでいます。
私は原発の耐震性がいかに低いかということを訴えてきました。著書でもその点を強調しています。原発はそれなりに安全と思っている人も、耐震性の問題を知れば、いかに危険かということを納得してもらえると思います。そういった人たちを巻き込んだ市民運動は政治を動かす大きな力になります。
――福島の事故を経験した私たちの責任は。
あの日、多くの人が原発事故の悲惨さを知りました。10年経っても深刻な状況は変わっていません。二度と繰り返してはいけない。原発の耐震性が桁違いに危険な状況では止めるしかありません。私は国内の全ての原発が止まるまで訴え続けたいと思います。(聞き手・大滝哲彰)
ひぐち・ひであき 1952年、三重県鈴鹿市生まれ。京都大学法学部を卒業後、83年に福岡地裁判事補任官。大阪地裁判事、大阪高裁判事などを経て2012~15年、福井地裁判事。大飯原発の運転差し止め判決では裁判長を務めた。17年8月、名古屋家裁判事で定年退官。
「私が原発を止めた理由」(旬報社)は税別1300円。全国各地の主要書店で購入できる。【朝日新聞】