関西電力の役員ら20人が、高浜原発が立地する福井県高浜町の森山栄治元助役(19年死去)から計約3億2千万円分の金品を受領していた問題。関電側は、生命線である原発事業に影響力を持つ森山の機嫌を損ねるのを恐れ、仕方なく受け取った、などと「被害者」の立場を強調するが、果たして、そうか。筆者は朝日新聞記者時代の2014年、関電の政官財の裏工作を取り仕切ってきた内藤千百里・元副社長(18年死去)から地下経済も交差する関電の裏面史を聞いた。森山と関電の関係もその中に登場した。今回、改めて、内藤証言を軸に「関電の闇」の深層に迫る。第7回の本稿では、前回に続き関電の政界コネクションについて考察する。(敬称略)
●中曽根コネクション
関西電力名誉会長だった芦原義重とその側近だった内藤が盆暮れのカネを届けた歴代首相の中で、最も原発政策に関心が深かったのは中曽根康弘だろう。改進党代議士時代の1954年、原子力研究開発予算を国会に提出して成立させ、鳩山内閣で初代科技庁長官になった正力松太郎とともに原子力政策推進の両輪となった。岸内閣に科技庁長官として入閣。原子力委員会委員長に就任した。また、田中内閣の通産相時代には電源三法を成立させた。内藤は、中曽根本人や大物秘書といわれた上和田義彦と昵懇の関係だった。
――中曽根さんへの盆暮れは。
内藤: 事務所や。秘書はごっつ多かった。上和田なんていうのは秘書の一番トップですからね、その下で若い…そこをやって国会議員になったのが数人おりますよ。所定の10分前ぐらいにいけば、上和田先生がちゃんと迎えてくれて「上さん来たで。お願いします」「お待ちしておりました。どうぞ」と(中曽根の部屋に)案内される。
(芦原と中曽根は2人で)結構、話をしていますよ。せやね、20~30分は雑談していますわな。(その間は)電話はかかってもつながない。人によって手をたたいて秘書を呼ぶ人もいるが、中曽根は自分で送ってくるタイプではない。部屋からベルを押して秘書を呼んで「お帰りになる」と。中でお送りして。
――中曽根さんは、原発を熱心に推進した。
内藤:もともと、理想論の強い人。夢が大きければ大きいほど、ほころび方も大きい。彼のやったことは素晴らしい面と全くなっていない面とがある。おそらくは日本の原発は正力松太郎が米国から輸入した。正力は中曽根と近かったと思う。あの当時、正力が若い中曽根を呼んだと思う。(14年5月22日、リーガロイヤルホテル大阪ジム)
中曽根も三木同様、自民党の中では傍流の小派閥の領袖だった。政権をとるまで、政界で変わり身早く立ち回り、「風見鶏」と揶揄された。中曽根本人は、その評判を気にしていた。内藤は、中曽根からその悩みを聞き、励ましのアドバイスをしたという。
内藤:(店は)若林かな。私がよく使った赤坂の。向こうがぜひ会いたいと言うから、若林を取っておきましょうと。二人だけで、形ぐらいの食事で、話をした。「どうしたらいいんやろ」と。「風見鶏は何も悪い意味じゃないんですから、時代の先取りと解釈できるわけだからご自分の方から言った方がマスコミが言わなくなるんちゃいますか」とね。
――首相になる前?
内藤:うん。上和田が頼むから、それやったら話しましょうと。夜10時からかな、派閥で会議があったらしいんです。私は知らなかったけど。私は「若林」で話をして、(中曽根を)派閥の会に渡した。あの頃は本当に猪突猛進。ねえ。(14年6月6日、リーガロイヤルホテル大阪ジム)
●中曽根取材を記者に勧める
自民党きっての原発推進派で米国にもパイプがあった中曽根は、日本の原発政策の表裏に通じていたと思われる。その中曽根に、関電や電力業界が何を求め、また中曽根が関電などのために何をしたかについて内藤は一切、語らなかった。しかし、筆者らにこう言って取材を勧めた。
内藤:日本の原発史。中曽根を取材した方がいい。おっさんが嫌がるのもわかるけど、それを話さなければ日本のためになりませんよ、その事実だけを教えて下さいと。(14年6月2日、リーガロイヤルホテル大阪ジム)
内藤が盆暮れの資金提供を明言した首相で当時、存命しているのは中曽根だけだった。筆者は、内藤証言の裏付のため中曽根に事務所を通じて取材を申し入れた。事務所は2014年6月24日、「秘書官は故人で当時をわかる者が事務所にいない。そういうことはなかったと思う。元首相本人は高齢のため確認していない」と回答。筆者はさらに、記事掲載前の同年7月25日まで何度か中曽根本人への取材を事務所に申し入れたが、回答はなかった。内藤には、中曽根側の対応が意外だったようだ。
内藤:中曽根さんが、なんで逃げるんかなと思う。原発を誘致するように頑張ったことは立派なことじゃないんですか。ただ誘致した電力会社がトイレのないマンションになってしまったことがけしからん。何回も言うように、発明できない民族の宿命ですわ。(14年6月6日、リーガロイヤルホテル大阪ジム)
●献金の目的と効果
内藤は、政治家に対する具体的な「請託」を否定した。しかし、首相クラスの大物政治家にとっても2千万円は大金だ。それだけのカネを贈るには、それなりの目的があるはずだ。関電の狙いは何なのか。色々な角度から内藤に聞いた。
――関電はなぜ政治家にカネを渡すのか。
内藤:よけいな摩擦を避けたい。その度合いが強くなれば違法行為になるが、一言でいえば、弱い立場だから献金をする。役所に許認可を握られている。発電所をつくるにしても、検査にしても、すべて通産の許認可事項なので敵に回せない。(2014年1月23日、リーガロイヤルホテル大阪ジム)
――盆暮れの挨拶が役立ったことは?
内藤:有形無形でいろいろある。具体的にこうだとなれば贈収賄になるが、たとえば電気料金の総括原価の査定。これは時間がかかる。東京で1週間近く徹夜の査定を受けた。人件費をどこまで認めるかや、春闘の問題もある。単に数字だけの問題ではない。うまくやるために、各社が江戸詰めの東京支社をつくった。官僚と直接やりとりをするが、困ったときは、「あの先生のお言葉です」と言った。「決算委員会のあの田中先生がよっしゃ、といいました」と言う。(事前に田中議員には伝えてあるのか)うん。「困ってますねん、本当にね…説明しますか」「いやいやいや」という具合。
――電気料金改定や見直しの時にあった?
内藤:うん。(14年1月27日、リーガロイヤルホテル大阪ジム)
この「田中議員」は何者か。芦原、内藤と親しかった田中角栄なのか、衆院決算委員会を舞台に疑惑を追及する振りをして利益を得る「マッチポンプ」といわれ、1966年に東京地検特捜部に逮捕された田中彰治なのか、それとも別の「田中」なのか、定かでない。
●福井県の有力政治家を紹介してくれた福田首相
――無形は、どんな形で。
内藤:世の中いろんなギブ・アンド・テイクがある。たとえば、福井県の知事が固いことばかり言って、全然あきまへんねん。当時は福田赳夫さん。福井県は名前を忘れたが有名なセンセイがいてね、福田と親しいから、福田さんはそのセンセイへ秘書に電話を回させて、「福田だがね-。内藤をよろしく頼むわ」と目の前で言った。それだけ。
――福田さんに会って頼んだのか。
内藤:もちろん。会えなかったらダメ。芦原さんと行くこともあった。(14年1月27日、リーガロイヤルホテル大阪ジム)
電力会社と監督官庁の通産省(現経産省)、政治家との関係も聞いた。
内藤:官僚が頭が上がらないのが政治家。政治家の頭が上がらないのが一般大衆。官僚に言うことを聞かせようと思えば、強い政治家を頼る。政治家はカネと選挙があるので電力会社に弱い。一堂に会する場も開いていた。(14年1月23日、リーガロイヤルホテル大阪ジム)
結局、関電の「政治担当」の役割とは、一体何なのか。
内藤:経営をやっとって、経営というのは利益をもたらさなければならない。利益をもたらすためには、どんな事業でも、いろんな規制や反対する人がおりますよね。それを何とか説得したり、封じ込めたりしないと事業がいきません。だから、極端なことを言えば、明けても暮れても、そういう会社の経営を理解してもらう、そういう人を政界、官界、財界の中に一人でも多くつくっていく。
――そういう役割は今も続いている?
内藤:今もその必要はあるんだけども、ご存じのように、(電力会社側が)矮小化してしまって、相手は政界なら政界の人が相手にしてくれない、官界の人が相手にしてくれないというふうになっていってるのとちゃいますか。一言で言うなら、打算的になって、ロマンが無くなってしまっている。能力の問題ではなしに、自分の家庭なり、そういうことを計算してしまっている。私自身、退職するまで退職金の値段なんか知りませんでした。今の彼は違うでしょ、賢くなった。本当に、私は役員になるまで、関電に勤めて最後は営業所長でいいと思った。役員なんて絶対に考えていなかった。(14年4月3日、リーガロイヤルホテル大阪ジム)
●福井県知事への献金
原発建設で大きな発言権を持つ県知事への献金についても聞いた。
――関電は知事にも献金を?
内藤:もちろん。ただね、発電所の立地関係は、中央省庁の政治家のとは会計が違うはずですわ。大臣級、中央省庁の幹部級の会計は、これ特別。極秘中の極秘ですわ。ところが各府県の知事、市町村長は用地費で落ちてますから、会計処理がね。これは、特別にピックアップしないとわからん。
――内藤さんが、福井県の中川平太夫知事時代に、盆暮れを持参したことは?
内藤:これはない。ただ私が立地本部長をやっておっても、私の下に支配人がトップになって立地の班があるわけです。あのう、高浜、美浜、大飯。たくさんありますわ。能登半島の珠洲。そこらの担当する支配人クラスが使う金は、用地費で落ちてますから。総務系統では、わからん。(14年6月2日、リーガロイヤルホテル大阪ジム)
――福井県の知事が反対することはなかったか。
内藤:ない。中川平太夫の時に、福井の原発はみんな決まっていくわけ。
――なんで?
内藤:お金。県のためというよりかは自分のため。
――自分が儲かる?
内藤:うん、間接的にね。工事があれば,工事業者が仕事をするときに知事に挨拶するでしょう、日本の社会はそういう仕組みや。それでなかったら、知事が横を向いたまま仕事ができない。(14年5月22日、リーガロイヤルホテル大阪ジム)
●政治献金は漢方薬?
14年5月12日、リーガロイヤルホテル大阪ジムで内藤は、芦原=内藤が行ってきた盆暮れの資金提供などについて「即効性の頓服薬でなく、じっくり効いてくる漢方薬だ」と語った。
内藤:具体的な目的をもって盆暮れを渡すという汚い金の使い方はしません。持っていって、「天下国家のために役立てて下さい」と。「我が社のこれをよろしく」なんて絶対に言わない。本当に、天下国家のためですから、そんな個々の目的は無いんですよ。
――漢方薬のようにカネを出す目的は?
内藤:一に電力の安泰。二に国家の繁栄。一つだけ個別があるとすれば、個人的には持っていった人と非常にコミュニケーションがよくなる。玄関で帰らなければいけないところを、「芦原さん、まあまあ、中へ」と奥まで行ける。だから、雑談が非常に密になる。
中曽根以外の元首相の関係者は、インタビュー当時、朝日新聞記者の取材に対し、「関係者に確認したが、初耳との答えだった」(田中角栄の長女、真紀子元衆院議員の事務所)、「そのような事実はなかったと思う。当時の秘書官は故人となり確認は難しい」(三木武夫の長男、啓史)、「わかりかねる」(福田赳夫の長男、康夫元首相)、「盆暮れに私邸に来たことはある。1千万円の授受は初めて聞いた」(大平の秘書官だった森田一・元衆院議員)、「面談を依頼された記憶もない」(鈴木善幸の秘書官だった財津昭吾)、「そういう話は聞いたことがない」(竹下登の弟、亘衆院議員)と回答した。
筆者は、三木、大平、鈴木関係の取材を担当した。
三木の秘書を長年務めた岩野美代治が2017年の著書「三木武夫秘書回顧録」(吉田書店)で、関西電力など電力各社から三木の団体に対して資金支援があったことを明らかにしていることは先に紹介した。
関電にこれらの内藤証言に対する見解を聞いた。関電広報室は「そのようなことは承知しておらず、回答は差し控えさせて頂きます」と回答した。
●検察の責任 ― 告発を受けた捜査を徹底せよ
関電経営陣が高浜町元助役の森山栄治から金品を受領した事件に戻る。
関電関係者によると、芦原、内藤が失権したあと、森山は関電の経営陣とは付き合わず、関電の原発事業部門に恫喝と利益提供を織り交ぜ、巧みに入り込んだようだ。そして、自らの原発利権確保の担保とするため、事業部門の幹部らに金品を贈り、「共犯」に仕立てた。
森山に「汚染」された原発事業部門の幹部たちは出世し、八木誠のように原発の事業本部長から社長、会長になる者まで現れた。
森山による関電経営陣への金品供与疑惑の本質は、芦原、内藤ら関電経営陣が原発立地や運転の維持などのため、森山を便利使いし、そこにつけ込まれたことにある、と筆者はみている。第三者委員会も、同様の見立てをしているとみられる。
第三者委には、ぜひそこを解明してほしい。ただ強制力を持たない調査には限界がある。本稿の冒頭で触れた、森山が「経営トップから受け取ったという手紙やはがき」は、真相解明のための有力な物証とみられるが、第三者委はまだ入手できていないようだ。
森山が国税当局に領置されるのを恐れて処分したのか、それとも、当局の手の及ばない場所に隠したのか。ここは、強制捜査権を持つ検察当局の出番ではないか。
すでに市民団体「関電の原発マネー不正還流を告発する会」が19年12月、会社法違反、背任、所得税法違反などの容疑で関電役員ら12人に対する告発状を大阪地検に提出している。
地検は第三者委の結論を待って、告発容疑の捜査に乗り出すとみられるが、ぜひとも森山が保管していたという手紙やはがきを探し出してほしい。それが、金品授受事件の背景となった芦原、内藤と森山のコネクションの真相に迫るカギとなるかもしれないからだ。(次回に続く)
村山 治(むらやま・おさむ)
徳島県出身。1973年、早稲田大学政経学部卒業後、毎日新聞社入社。大阪、東京社会部を経て91年、朝日新聞社入社。2017年11月、フリーランスに。この間、一貫して記者。
金丸脱税事件(1993年)、ゼネコン事件(93、94年)、大蔵汚職事件(98年)、日本歯科医師連盟の政治献金事件(2004年)などバブル崩壊以降の政界事件、大型経済事件の報道にかかわった。
【法と経済のジャーナル】