3月で事故から9年を迎える東京電力福島第1原子力発電所に日本経済新聞の記者が12日、単独取材に入った。排気筒解体や3号機からの核燃料取り出しなど進展する作業がある一方で、放射性物質に汚染した水は発生し続けている。汚染水を浄化処理する施設は稼働を続け、処理した水をためるタンクは1000基に達した。政府の処分方針が定まらぬ中、増え続けている。
福島第1原発は2011年の東日本大震災による津波の影響で1~3号機が炉心溶融(メルトダウン)事故を起こし、大量の放射性物質を環境中にまき散らした。建屋プールに残る核燃料や溶け落ちた溶融燃料(デブリ)の取り出し、汚染水浄化など放射性物質によるリスクを取り除く廃炉作業が続いている。周辺はなお避難指示区域で、福島第1原発に向かう道中には事故直後から放置された家屋などがそのまま残っていた。福島第1原発に到着すると、地面に付着している放射性物質を外に持ち出さないように、用意された専用の靴と靴下に履き替え、放射線の線量計を身につけて構内に入った。構内の96%は防護服や全面マスクが不要な水準まで放射線量は下がっているという。
汚染水を浄化処理する要の設備「多核種除去設備(ALPS)」建屋には白い防護服に身を包み、全面マスクをかぶって入った。放射性物質を含む水を扱っているためだ。「ゴオ」。人けの少ないサッカーコートくらいの広さの建屋内に機械音だけが鳴り響く。福島第1原発では壊れた原子炉建屋などに地下水や雨水が入り込んで現在も汚染水が発生している。汚染水は主に2段階で浄化処理している。第1段階のセシウム吸着装置では、汚染水に多く含まれている放射性物質のセシウムとストロンチウムを取り除く。第2段階のALPSでは、吸着剤が入った筒の中を通して62種もの放射性物質を取り除く。見回りや水質検査以外はほぼ無人で稼働を続ける。ただ唯一、水と一体となって存在している放射性物質トリチウム(三重水素)は現在の技術で取り除くのが難しい。
トリチウム自体は自然界にごくわずかに存在し、放射線が弱く体内にもとどまりにくい。通常の原発でも発生しており、基準を満たす濃度に薄めて海に流すことが国際的に認められている。福島第1原発では風評被害を懸念する声に配慮して、敷地内にタンクを建設して保管してきた。
ALPS建屋から南に位置するエリアには処理を終えた水をためるタンクが林立していた。福島第1原発に建設したタンクは1月23日時点で1000基に達した。保管している処理水などの量は118万トンにのぼる。敷地の端に近い場所では、今も溶接型タンクの建設が続いていた。幅2メートル、高さ12メートルの鋼鉄の板を18枚溶接して造るタンク1基には1350トンの処理水をためられる。東電は20年中に計137万トン分のタンクを用意するが、22年夏にも満杯になると試算している。
汚染水は刻一刻と発生している。発生量は19年4~12月の平均で1日200トン。15年度の1日490トンから大きく減ったが、豪雨や台風の影響で18年の同時期を上回っている。東電は地面の舗装や建屋の補修などを進めて20年に1日150トン、25年に100トンまで減らす目標を立てている。
増え続ける処理水の扱いは決まっていない。専門家の多くは「海洋放出が最も合理的だ」(原子力規制委員会の更田豊志委員長)とする。経済産業省は13年に有識者会議での議論を始めた。20年1月末に大筋でとりまとめた報告書では海洋放出と水蒸気放出が「現実的な選択肢」としながらも、国内で前例のある海洋放出の優位性をにじませた。
地元自治体などの意見を踏まえて、政府が決定する方針だが、風評被害への懸念は根強くメドは立っていない。処理水を保管するタンクが増え続ければ、廃炉作業の妨げとなる恐れがある。今後、1~3号機では原子炉建屋のプールに残る核燃料や廃炉作業の本丸と言われる溶け落ちたデブリの取り出しが本格化する。
政府が19年12月に改定した廃炉工程表では、21年に2号機でデブリの取り出しを始めることを決めた。31年までにプールに残るすべての核燃料を取り出す目標を掲げた。今後、燃料やデブリを保管する施設を建設する必要がある。処理水に関する判断が遅れれば、41~51年としている廃炉完了の目標をいっそう危うくしかねない。
1、2号機原子炉建屋近くの高台に立つと、1年前にはそびえ立っていた高さ120メートルの排気筒が約90メートルまで切断されていた。排気筒は事故時に原子炉を覆う格納容器内の圧力を下げるベント(排気)に使われた。水素爆発の影響で排気筒の一部が損傷しており、今後起きる地震による倒壊リスクを下げるため、19年8月に切断を始めた。排気筒下の放射線量が高く、作業員の被曝(ひばく)を避けるため、遠隔操作で解体を続けており、20年5月に終える予定だ。
水素爆発を起こして最上階の屋根や壁が吹き飛んだ1号機の原子炉建屋を高台から見ると、上部にがれきが残っていた。高台では1号機などからの放射線の影響が強く、線量計は最大で毎時120マイクロ(マイクロは100万分の1)シーベルトを示した。10時間その場にいると一般の人の年間被曝限度の1ミリシーベルトを超える値だ。約2時間半に及ぶ今回の構内取材での記者の被曝線量は約30マイクロシーベルトだった。
1号機はがれき撤去に苦戦しており、19年12月に政府が見直した廃炉工程表では建屋上部にある燃料プールからの核燃料取り出し作業の開始を23年度メドから4~5年遅らせた。避難指示の解除が続く中、放射性物質が舞い上がらないように建屋全体を横65メートル、縦50メートルの巨大な屋根で23年度ごろに覆って、がれき撤去とプールの燃料取り出しを進める方針だ。
2、3号機の間の通路では2号機から使用済み燃料を取り出す構台を設けるための準備工事が進んでいた。2号機は水素爆発が起きず、建屋は大きく損傷していないものの、最上階は放射性物質がたまっており人が容易に立ち入れない。プールに残る使用済み燃料の取り出しに手を付けられていない。屋根や壁を取り除くことも検討したが、建屋の隣に作業に使う構台を新たに設置し、壁の一部に穴を開けて作業を進めることになった。
2号機では廃炉作業で最も重要とされるデブリ取り出しが21年に初めて開始される。建屋内部ではデブリの取り出しや調査に使う格納容器までのルートの設置が進む。1年前の19年2月にデブリに初めて接触することができたが、一度も取り出したことはない。デブリの成分や量など詳しいことは分かっていない。事故から9年がたってもなお廃炉の終わりは見えない。【日本経済新聞】