ここ1年で、チェルノブイリ原発事故の作品が増えた。筆者が把握する限り、英国では本が3冊、テレビドラマが1本。2016年にウクライナ政府が意趣返しでKGBファイルを公開し、原発事故に関する秘密ファイルが入手可能になったことにも起因しているのだろう。このうちドラマというのは英米合作の「Chernobyl」。英米両国で大成功をおさめ、日本でも9月下旬から放送される。
18年度のベイリー・ギフォード賞を受賞した本書『Chernobyl:History of a Tragedy』は、ハーバード大学のセルヒー・プロヒー教授による重厚・詳細な「悲劇の歴史」である。チェルノブイリ関連の邦訳ノンフィクションで有名なのは、ノーベル文学賞受賞者スベトラーナ・アレクシエービッチの『チェルノブイリの祈り』だ。同書が被害者側からの聞き取りをもとにしたヒューマンな書であるならば、本書は膨大な参考図書の他、上記KGBファイルをもとに再現した事故の全容である。前者の執筆は1997年以前だから、20年後に書かれた本書には極秘資料へのアクセスが可能になった「時の利」がある。
単なるタービンの回転実験が原子炉爆発を引き起こすまでの経緯、事故対応、住民避難の一部始終が克明に描かれる。本書の特徴は、その前後を行政的、心理的、社会学的、国際政治的文脈で取り囲んでいる点だ。動脈硬化を起こしていたソ連官僚組織、責任の取り方と決断のスピードが出世とメンツへの拘泥によって鈍化してゆく醜状、放射線よりも評判を恐れた官僚などの姿。この事故の根本原因は原子力産業と政治システムの瑕疵(かし)にあったという。加えていつしか生まれた安全神話、そこから当然のごとく派生した「我々は正しいという傲慢(ごうまん)」が理性を失わせた。
本書エピローグで著者は「エネルギー問題解決のために、環境に優しいという甘言で釣りながら、経済発展の加速を熱望する統治者の手に核エネルギー技術が握られる」状況下で類似事故が再発する危険があるという。ポピュリズム、ナショナリズムが横行する世界で「核ナショナリズム」が引きおこすリスク、また原発とその関連システムがサイバーアタックにさらされるリスクにも警鐘を鳴らす。【GLOBE+】