原発事故が発生したら、国は住民に「避難する権利」を認めよ--。東京電力福島第1原発事故の被災者や、各地の原発周辺の住民にとって、当然の主張のように聞こえるが、チェルノブイリ原発事故が起きた旧ソ連と異なり、日本には「避難の権利」がない。なぜだろうか。
「日本史上最悪のいじめ」というドキリとする言葉が飛び出した。東京都港区のホールで17日に開かれた講演・交流会。福島県からの避難者ら約100人を前に、マイクを握った弁護士、柳原敏夫さん(67)は避難者らの声を代弁した。
「加害責任を負う日本政府は避難者や残留者の『命の復興』ではなく、経済復興に突き進んでいる。原発事故の被害者は『助けてくれ』という声すら上げられず、経済復興の妨害者にさせられています。『3・11ショック』のどさくさ紛れの中で、『全てがアベコベ』の世界が出現したのです」
避難者が直面しているのは「住まい」の問題だ。福島市や福島県郡山市といった避難区域外から逃れた約1万2000世帯への住宅無償提供は2017年3月末で打ち切られた。福島県が民間賃貸住宅に住み続ける世帯に一定の条件下で交付してきた家賃補助(最大で月2万円)は今月でなくなる。これにより、自主避難者への経済的支援策は終了する。
国家公務員宿舎に住んでいる人は契約期限が今月で切れるため、4月以降も住み続けるには、2年前に福島県と交わした契約書に従い現在の2倍の家賃を払わなければならない--。
住まいを失った福島の人々を国がいじめているような場面が昨年10月、参院議員会館で繰り広げられた。国家公務員宿舎の家賃問題を巡り、所管する国(財務省)と避難者側とのやり取りだ。
避難者側 (住み続けるのに)「2倍」の根拠はなんですか。
国側 (住宅の)使用料を2倍にするのではなく、あくまで損害金という形で設定させていただきました。
避難者側 2倍は解せない。
国側 本来なら損害金は実損を算定する形になりますが、そこをあえて月額使用料の2倍に。
避難者側 大変失礼ですよ。被災者は公務員住宅に損害を与えているんですか。
国側 福島県から(4月以降の住宅使用継続の)提案がないので。
避難者側 (居住者の暮らしぶりの)実態調査をしたら、2倍の請求はできないはずだ。僕らは人間として(このような対応が許されるのかという)話をしているんだ。
この政府交渉で避難者側は、居住者の実態調査を行うよう求めた。母子避難者など生活に困窮している人が少なくないとみられるためだ。しかし、国側は調査しない考えを明らかにした。その理由を問われても「避難者の抱える課題が個別化、複雑化している中で、なかなか問題解決に至っていない。生活再建を果たせるように福島県と連携して考えていきたい」(復興庁)と述べるにとどめた。
3月1日現在、6都府県にある国家公務員宿舎にはいまだ100世帯が暮らしている。転居先が決まっているのはこのうち約3割にすぎない。
避難者に対する冷たい姿勢は、今村雅弘復興相(当時)が17年4月の記者会見で、住宅無償提供が打ち切られた自主避難者について「本人の責任、判断だ」と突き放したことに通じるようだ。釈明を求める記者に「出て行きなさい!」「うるさい!」と激高した場面も記憶に新しい。
震災から8年。南相馬市や飯舘村など、かつて避難区域だった地域も次々と避難指示が解除され、帰還しない住民は「自主避難者」扱いとなり、支援は先細っていくとみられる。
避難者の支援に立ち上がり、冒頭の講演・交流会を開いたのは「市民が育てる『チェルノブイリ法日本版』の会」など3団体。柳原さんは同会の共同代表を務める。何を目指しているのか。
「チェルノブイリ原発事故から5年たった1991年、旧ソ連のウクライナ、ベラルーシ、ロシアでチェルノブイリ法が制定されました。事故に対する国家の責任を明確にするとともに、誰にどのような権利があるかを定めたのです。チェルノブイリ法は、原子力災害から住民の『命』『健康』『暮らし』を守る世界初の『人権宣言』です。この日本版の制定を目指しています。福島からの避難者をボランティアで支援してきた三重県伊勢市民の呼び掛けを機に、1年前に会を結成しました」
チェルノブイリ法は、追加被ばく線量が年5ミリシーベルト超の地域は移住が義務付けられ、年1ミリシーベルト超の住民には「移住の権利」を保障する。つまり、住民は移住を選択するか、それとも現在の居住地にとどまるか自分で決めることができる。また、移住先の住居や、生涯にわたる無料の健康診断が保障される。低線量被ばくが健康に与える影響について科学的な定説がないことに加え、健康被害が長期間続くことを想定して制定された。
翻って日本は--。
国際放射線防護委員会は、平常時に一般人の被ばくは年1ミリシーベルト以下とするよう基準を示しているが、政府は11年4月、「緊急時」であることを理由に避難基準を年1ミリシーベルトから20ミリシーベルトに引き上げた。避難指示の解除基準も20ミリシーベルト。これが、チェルノブイリ原発事故との大きな違いだ。国による一方的な線引きにより、精神的賠償(1人当たり月10万円)の有無が決まり、地域社会に分断をもたらしたのだ。避難区域外から逃れた自主避難者は現在、統計上「避難者」に含まれず、多くの被災者支援制度の対象外になっている。
条例制定へ草の根の動き
このような現状を避難者はどう受け止めているのか。郡山市から川崎市に避難している松本徳子さん(57)は「国策として原子力を推進し、事故を起こしたら、避難は自己責任にさせられる。『この国はそういう国だったのか』と知ったことが一番のショックでした」と話す。前出の政府交渉に参加し、国の「棄民政策」に抗議するデモに参加するなど、柳原さんと行動を共にしてきた。
11年3月の原発事故後、松本さんは東京都内で暮らす妹の元へ当時12歳の娘を避難させた。4月に学校が再開すると郡山に戻した。その後、科学者を招いた勉強会に参加したり、インターネットで検索したりするうち、低線量被ばくや内部被ばくに不安を持つようになった。6月に娘が体調不良になったのを機に、夫を残して母子避難した。
この間の政府の対応を振り返ろう。事故直後の対応は混迷を極めており、松本さんの行動は決して「自己責任」ではないだろう。
まず、SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)に基づく避難誘導は行われず、多くの人が無用な被ばくを強いられた。「レベル7」の最悪の事故であることを国が認めたのは、1カ月も経過した4月12日。後手後手の対応の揚げ句、避難基準は20ミリシーベルトに引き上げられ、政府が「直ちに健康に影響はない」とアピールしても信頼できない状況だった。
松本さんは言う。「当たり前のことですが、私たちは原発事故がなければ、避難しませんでした。避難したくても、仕事の関係で自宅から離れられない人もいます。『避難の権利』を国に認めさせない限り、私たちにゴールはありません」
再び過酷事故が起きれば、避難基準は国によって一方的に決められ、福島第1原発事故と同じ状況が繰り返される恐れがある。打開する手立てはあるのか。ヒントとして前出の柳原さんは、過去に国を動かした自治体の条例を挙げる。
一つは、東京都が69年に制定した都公害防止条例だ。この条例は公害対策の機運を高め、対策に消極的だった国を動かした。70年の「公害国会」で公害対策基本法が改正されるなど、抜本的な規制強化をもたらした。もう一つ、82年に山形県金山町で制定された情報公開条例は全国の自治体に広がり、99年についに国レベルの情報公開法が成立、01年から施行された。
「自治体レベルで条例を積み重ねれば、大きなうねりになる。アベコベの世界を、市民主導で変えていくしかありません」と柳原さん。モデルとなる「条例案」を示し、全国各地で勉強会を重ねている。「前文」ではこう宣言する。
<国は、放射能災害に対して無条件で加害責任を免れず、住民が受けた被害を補償する責任のみならず住民の「移住の権利」を履行する責任を有すると確信する。その結果、この条例の施行により、○○市が出費する経費は本来国が負担すべきものであり、国は法改正を行う責務を有すると確信する>(抜粋)
そして、第11条ではチェルノブイリ法を参考に「移住」を選択した住民に「引っ越し費用の支給」「移住先での住宅確保・就労支援」「健康診断・保養費用の7割支給」など七つの権利を保障。第15条では自治体が出費する経費は全額、原発の設置者と国に求償できると定める。
条例制定には、賛同する議員を増やすか、有権者の50分の1以上の署名を集めて首長に直接請求する方法がある。制定に向けた勉強会は、これまで11都道県の20カ所で開かれてきた。まだまだ小さい動きだが、いつの日か条例第1号が誕生するかもしれない。
【毎日新聞】