東京電力福島第1原発事故後、「こちら特報部」が10年余にわたって取材する団体がある。飯舘村放射能エコロジー研究会(IISORA)だ。避難指示が遅れた福島県飯舘村の汚染状況、健康影響などを巡り、村民と学者らが調査や議論をともにし、将来の指針を考えてきた。世話人を務める京都大の今中哲二さんらは今月、コロナ禍で見送ったシンポジウムを4年半ぶりに開催。動画配信もあったシンポを通じ、村内の根深い課題が浮かんだ。
◆進む高齢化「どこに向かって猛進したらいいか」
「老老介護ならぬ、老老行政区になりつつある」
3日に飯舘村内であったシンポ。伊丹沢地区の山田登区長(65)は、高齢化が顕著な地区の現状にこう危機感を示した。「帰還率は24%で、その多くは高齢者。ひと言でいえば、将来のビジョンが見えない。どこに向かって猛進したらいいか分からない」
心配な状況もある。「ここ数年、60から70代前半でがんで亡くなる人が多い」のだという。「毎年の村政ヒアリングで、がんと原発事故の関係はないか質問しているが、村は『影響はない』との回答だ。ただ、放射線によるがんは(時間がたってから症状が出る)晩発性と聞く。村からは影響はないという情報だけで、本当にいいのかなと思う」
飯舘村は福島第1原発の北西にあり、原発から最も近い地点の距離は約28キロ。事故を受けて全村避難となったが、国の避難指示は事故発生から1カ月余りたってからだった。
◆診療所、週2日しか開けられない
2017年3月以降、村の大半の避難指示が解除された一方、今も南部の長泥地区で残る。村によると、原発事故前の人口は約6150人で、今月1日現在の帰還者数は1534人。うち高齢者は約6割に上る。
高齢者が多い村で重要なのは医療環境だ。頼りは公設民営で村唯一の診療所「いいたてクリニック」。シンポで登壇した本田徹医師は直面する課題を語った。
診療日は火曜の一日と木曜の午前に限られており、「週2日しか開けられない制約がある」。村によると、診療所は被災前は週5日開いていたが、震災後は運営する医療法人のスタッフ態勢が整わず、受診者も少ないことから現在の状況になっているという。
村の在宅医療も担う本田医師。「村では震災前、訪問ヘルパーの派遣などで、(特別養護老人ホームの)『いいたてホーム』がかなりの在宅医療を支えていたが、今は周辺自治体からのサービスに頼っている。どう改善するかが大きな課題だ」とも言及する。
◆医療費窓口負担の免除が段階的打ち切りに
医療面では国側の支援の在り方にも問題がある。
政府は昨春、旧避難区域の医療・介護保険料や医療費の窓口負担の免除措置を段階的に打ち切ると表明。被保険者間の公平性などの観点から適切な見直しを行うとする復興基本方針を踏まえ、関係自治体の意見を聞いて決めたという。
飯舘村は26年度から保険料免除の縮小が始まり、28年度に全ての免除措置が終了する見通しだ。
被災後に毎月福島を訪れている兵庫医科大の非常勤講師、振津かつみさんはシンポの中で「どういう影響になるか計り知れない」と切り出し、「生活再建の途上、高齢者が非常に多い中で介護の問題や病気も増えていく。その中で医療費の支援が切られるのは非常に問題だ」と語りかけた。
振津さんは昨年10月、原発被災者と「福島原発事故被害から健康と暮らしを守る会」を設け、政府方針に反対する活動を進めており「議会で今からでも問題にしてほしい。当事者は声を出して」と訴えた。
◆空間放射線量は事故前に比べて「7~8倍」
飯舘村を語る上で避けて通れないのが、長期的な放射能汚染の問題だ。
シンポでは、2011年から村内の道路を車で走り、空間線量を調べる京大の今中さんが現状を報告。今年4月時点で、村内276地点の平均が毎時0.31マイクロシーベルトだったという。原発事故前の水準と比べると7〜8倍の高さで「平常値ではない」と指摘した。
いま残る放射性物質はセシウム137で、量が半分になる半減期は30年。除染を経ており、自然減衰に頼ることになるが、今中さんは「気にしなくていい目安を毎時0.1マイクロシーベルトとすると、そこまで下がるには道の上で50年か60年の時間が必要となる」と話した。
さらに深刻なのは、村の面積の約75%を占める山林の汚染だ。
国が昨秋に航空機を使って村内3623地点で測定したデータを今中さんが分析した結果、平均で毎時0.82マイクロシーベルトとなり、道路上の2.7倍になった。除染対象ではない山林が含まれるためとし、「山の汚染をほったらかしておいていいのか」と訴えた。
山林汚染は近隣地域にも共通する課題だが、その山林にある樹木を燃料として利活用し、木質バイオマス発電施設を村内で稼働させる計画が進んでいる。
◆バイオマス発電計画に「濃縮される」と危惧も
施設名は「飯舘みらい発電所」。東京電力ホールディングスや熊谷組などが出資する会社が事業を担う。飯舘を含む浜通りなどの間伐材や樹皮など年間約9万5000トンが使われるという。
村によると、森林材の伐採や搬出を進めることで、森に残る放射性物質を減らすことが期待できるほか、雇用創出や税収増が見込めるという。
シンポでは、この施設に関して意見が相次いだ。
横山秀人村議は「汚染された木が入るというのが大前提。出口で出さない、という約束のもと、計画は進んでいる」と説明した。
ただ、村民の伊藤延由さんは「木を燃やすことで(灰の)放射能濃度は200倍に濃縮される」と危惧を訴え、元日大教授の糸長浩司さんは灰(ばいじん)を捕集するバグ(布)フィルターに触れ「粗いフィルター」と性能を危ぶんだ。
◆「国や東電にばかり都合の良い復興になっていないか」
複雑な胸中をのぞかせる村民もいた。前出の山田さんは「原発事故から12年が経過し、木は毎年伸びる。生活や通行の支障になるし、庭木も手入れしないといけない。でもその場に置いておいてください、という指導しかない。伐採したものを処分する場所は必要だ」と漏らした。
「非常に難しい問題」と語ったのは飯舘村から福島市に避難する菅野哲ひろしさん。「村民の8割が村外に暮らし、行ったり来たりしている。村に関心を持っていても、議会や為政者に委ねているのが大方の村民の考え方」と述べた。
登壇者の中には、長く飯舘村を取材してきたフォトジャーナリストの豊田直巳さんもいた。閉会後、改めて話を聞くと「山林汚染への対処にせよ、医療環境の乏しさにせよ、一番弱い立場の人にしわよせがいき、物を言えなくさせている」と嘆き、「復興とは何なのか。国や東電にばかり都合の良い復興になっていないか」と疑問を口にした。
山を含めた飯舘の空間線量を踏まえれば、復興には相当な年月が必要になる。
豊田さんは「自分の村は安全かどうか、戻るか戻らないか。被災者が自分の生き方を自分で決められるというのが、真の復興ではないか」と訴え、「国や東電の加害の事実は動かない。裁判や裁判外紛争解決手続き(ADR)での訴えの後ろにある一人一人の声を受け止めることから、責任を果たしてほしい」と強く求めていた。
◆デスクメモ
原発被災地に触れるたび、「日常」「普通」がいかに貴重か、思い知らされる。再び手にする前に亡くなった人も。同様に無念な思いをする人をなくすため、何をすべきか。それを考えるのは、惨状をもたらした加害者の責務だ。国と東電が自らの立場を忘れぬよう、今後も問い続けねば。
【東京新聞】