NHKメルトダウン取材班
吉田昌郎所長の事故対応をめぐって、繰り返し語られるのが、1号機海水注入をめぐる判断である。3月12日の1号機水素爆発後、放射線が上昇する困難な状況の中、ようやく始めることができた海水注入。そこに「海水注水による再臨界」を懸念する官邸サイドの意向を忖度した元東京電力副社長、武黒一郎フェローから中止の指示が入る。しかし、武黒から海水注入中止の指示を受けながらも、吉田所長はそれを無視し、注水を継続した。
その判断は“英断”と評されてきた。しかしこの“英断”は原子炉の冷却にはまったく貢献しなかったことが、その後の検証で明らかになってきた。吉田所長や東電運転員たちが決死の覚悟で行った消防注水は、注水ルートの「抜け道」に流れて、1号機原子炉にはほとんど届かなかったのある。この情報をいち早くスクープしたのが、NHKスペシャル取材班だった。このほど上梓された『福島第一原発事故の「真実」』ではその一部始終が鮮明に明かされている。「衝撃の真相」とは――。
2016年9月7日。福岡県久留米市で開かれた日本原子力学会で注目すべきプログラムが実施された。発表者は、国際廃炉研究開発機構(IRID)。テーマは「過酷事故解析コードMAAPによる炉内状況把握に関する研究」。最新の解析コードを用いて、福島第一原発事故がどのように進展し、どこまで悪化していったのかを分析するものだ。
核燃料の大部分が溶融し、圧力容器の底が溶かされて燃料が容器の底を突きぬけるメルトスルー(溶融貫通)が起きたことは、もはや専門家間で共通の認識だった。今回の発表の特徴は、これまでの“どれだけ核燃料が溶けたか”に主眼を置いたものではなく、“どれだけ原子炉に水が入っていたか”という点に注目したことだ。
「3月23日まで1号機の原子炉に対して冷却に寄与する注水は、ほぼゼロだった」
発表内容は衝撃的なものだった。東京電力が1号機の原子炉に消防注水を開始したのは、3月12日午前4時すぎ。しかし、事故から実に12日経った3月23日まで1号機の原子炉冷却に寄与する注水はほぼゼロだったというのだ。
事故の真相検証はまだ道半ば
にわかに信じがたい解析結果は、事故当時に計測された1号機の原子炉や格納容器の圧力に関するパラメーターは、原子炉内への注水量を“ほぼゼロ”に設定しないと再現ができないことから、結論づけられたものだ。
会場はざわついていた。詰めかけた関係者の中で、最初に質問したのは全国の電力会社の原子力分野の安全対策を監視・指導する立場にある原子力安全推進協会(JANSI)の幹部だ。
「事故から5年以上たって、初めて聞いた話だ。いまだにこんな話が出てくるなんて……」
発言には明らかに不満が込められていた。事故から5年以上経過しても次々と出てくる新たな事実。最新の解析結果の発表は事故の真相の検証はいまだ道半ばであることを物語っていた。
吉田昌郎所長の事故対応をめぐって、繰り返し称賛されるのが、1号機海水注入を巡る「英断」である。「海水注入について総理の了解が得られていない」と忖度した元東京電力副社長、武黒一郎フェローは、官邸から福島第一原発の吉田に電話を入れ、注水中止を指示する。
武黒「おまえ、海水注入は」
吉田「やってますよ」
武黒「えっ!」
吉田「もう始まってますから」
武黒「おいおい、やってんのか? 止めろ」
吉田「何でですか?」
武黒「おまえ、うるせえ。官邸が、もうグジグジ言ってんだよ!」
吉田「何言ってんですか」
吉田は武黒に反駁したが、電話は一方的に切られたという。
水素爆発後、高い放射線量の中、自衛消防隊や協力企業の作業員らが被ばくを伴いながら2時間近くかけて準備を行い、ようやく1号機の原子炉への注水を開始した直後の出来事である。
浮かび上がった消防注水の「抜け道」
武黒からの海水注入中止の指示。政府の原子力災害対策本部の最高責任者である総理の意向と聞いては、表向きは了解しないわけにはいかない。
ここで吉田は、とっさに一芝居打った。消防注水を担当していた部下の防災班長を傍らに呼び、小声で「中止命令はするけれども、絶対に中止してはダメだ」という指示をした後、本店には“海水注入を中断する”という報告をテレビ会議を通じて行った。
防災班長は吉田の指示に従い、密かに注水を続けた。この一連の1号機への海水注入を巡るやりとりが、吉田が官邸や東電本店の意向に逆らい海水注入を継続、結果として1号機の事態の悪化を食い止めた、と英雄視されている場面である。
現場の指揮官としての吉田の判断は極めて的確で、誰からも称えられてしかるべきであろう。しかし、原子力学会でIRIDが発表した最新の解析では、実際にこのとき行った注水のうち原子炉に届いていた量は“ほぼゼロ”だったという。
吉田の“英断”は1号機の冷却にほとんど寄与していなかった。
「海水注入について総理の了解が得られていない」と判断した武黒フェロー(写真右)は、官邸から福島第一原発の吉田所長(写真左)に電話を入れ、原子炉への海水注入を直ちに中止するように命じた(©NHK)
福島第一原発事故対応の“切り札”とされた消防車による外部からの注水。それが原子炉へ向かう途中で抜け道があり、十分に届いていなかった。その可能性を最初に社会に示したのは、取材班だった。
取材班は独自に入手した3号機の配管計装線図(P&ID)という図面をもとに専門家や原発メーカーOBと徹底的に分析した。すると、消防車から原子炉につながる1本のルートに注水の抜け道が浮かび上がった。
その先には、満水だった復水器があった。
衝撃の注水量「1秒あたり0・075リットル」
この抜け道には、復水器から冷却水を原子炉に送り込むための「低圧復水ポンプ」がある。このポンプが電源喪失により動かなくなったことで、ポンプに流れ込む水の流れを封じ込める「封水」という仕組みが働かなくなり、原子炉へ注ぎ込まれる海水が、復水器に向かう配管に横抜けしてしまったのだ。
実は、こうした“抜け道”は3号機だけではなく、1号機にも存在していた。しかもその漏洩量は、3号機をはるかに上回るものだった。2013年12月に、東京電力より発表された「未解明事項の調査・検討結果報告」によると、1号機には10本、2号機・3号機にはそれぞれ4本の「抜け道」が存在するというのだ。2011年3月23日までほぼゼロだった1号機への注水量。その原因はこの10本の抜け道にあった。
1号機の注水ラインと「抜け道」。東京電力によれば、「抜け道」は10本に及び、注水は2011年3月23日まではほとんど原子炉には届いていなかった(©NHK)
では、これだけの抜け道が存在する1号機の原子炉にはいったいどれだけの量の水が入っていたのか? その詳細を知るには最新の解析コードによる分析が必要だった。
福島第一原発の1号機、2号機、3号機にいつどれだけ水が入り、どのように核燃料はメルトダウンしていったのか、最新の解析コードで分析するBSAF(Benchmark Study of the Accident at the Fukushima Daiichi Nuclear Power Station 福島第一原発事故ベンチマーク解析)とよばれる国際共同プロジェクトが行われていた。
事故の翌年2012年から経済協力開発機構/原子力機関(OECD/NEA)が始めたこの取り組みは、世界各国の原子力研究機関や政府機関がそれぞれ所有する過酷事故解析コードを改良しながら、福島第一原発事故の進展と現在の状況を分析する世界最先端の研究だ。BSAFに参加する国は徐々に増え、11ヵ国(カナダ、中華人民共和国、フィンランド、フランス、ドイツ、日本、韓国、ロシア連邦、スペイン、スイス、アメリカ)になった。
その運営を担う機関が東京・港区西新橋にある。エネルギー総合工学研究所。電力会社や原発メーカーのOBに加え、外国人研究者が名を連ねる日本でも有数の研究機関だ。同研究所原子力工学センターの内藤正則は、福島原発事故前から日本独自の解析コードSAMPSONを開発し、BSAFプロジェクトの中心的役割を担う人物だ。
2017年2月、NHKでは内藤を含めた専門家を交え、1号機への注水など事故の進展に関する分析を行った。内藤は、BSAFの取り組みを通じて各国の研究機関がシミュレーションから導き出した“現時点で最も確からしい”としている最新の注水量を告げた。
「1秒あたり、0.07〜0.075リットル。ほとんど炉心に入っていないことと同じです」
国際機関が検証している最新の注水量。多く見積もっても、1分あたり1.5リットルペットボトルの3本分程度しかないわずかな注水量に専門家たちも衝撃を受けた。5年以上にわたって事故の検証を続けてきた内藤が提示したのは、この記事の冒頭でIRIDが原子力学会で発表した数値より具体性を持った数値だった。
遅すぎた注水開始…生み出された大量の核燃料デブリ
しかしながら、1号機の注水ルートに「抜け道」がなければメルトダウンを防ぐことができたのか? 答えはNOだ。吉田が官邸の武黒からの指示を拒否し、注水を継続していた局面は3月12日午後7時過ぎのこと。しかし、SAMPSONによる最新の解析によると、1号機のメルトダウンはこの22時間前から始まっており、消防車による注水が始まった時点では、核燃料はすべて溶け落ち、原子炉の中には核燃料はほとんど残っていなかったと、推測されているのだ。
注水の遅れは事故の進展や廃炉にどのような影響を与えたのか。内藤は「MCCIの進展に関してはこの注水量が非常に重要になる」と口にした。MCCI(Molten Core Concrete Interaction)は“溶融炉心コンクリート相互作用”と呼ばれ、溶け落ちた核燃料が原子炉の底を突き破り格納容器の床に達した後、崩壊熱による高温状態が維持されることで床のコンクリートを溶かし続ける事態を指す。
SAMPSONによる解析では、MCCIが始まったのは3月12日午前2時。1号機の原子炉の真下の格納容器の床にはサンプピットと呼ばれる深さ1.2メートルのくぼみがあり、そこに溶け落ちた高温の核燃料が流れ込むことで、MCCIが始まった。
今後の廃炉作業の大きな障害
当時の消防車からの吐出流量は1時間あたりおよそ60トン。東京電力の1号機事故時運転操作手順書(シビアアクシデント)によれば、この時点での崩壊熱に対して必要な注水量は、15トンとされている。つまり消防車は必要量の4倍の水を配管に注ぎ込んでいたのである。この水が、原子炉、あるいは格納容器の床面にある溶け落ちた核燃料に確実に届いていれば、コンクリートの侵食は十分に止まるはずだった。
しかし、消防車から注ぎ込まれた大量の水は、途中で「抜け道」などに流れ込んだことで、原子炉にたどり着いた水は“ほぼゼロ”。コンクリートの侵食は止まることなく、3月23日午前2時半には深さは3.0メートルに達したという結果を解析は示した。
その結果、もともとあった核燃料と原子炉の構造物、コンクリートが混ざり合い、「デブリ」と呼ばれる塊になった。内藤によるSAMPSONの解析の結果、1号機のデブリの量はおよそ279トン。もともとのウランの量69トンに比べ4倍以上の量となった。
1号機では、溶け落ちた核燃料が原子炉の底を突き破り格納容器の床に達した後、崩壊熱による高温状態が維持されることで床のコンクリートを溶かし続けるMCCI(溶融炉心コンクリート相互作用)が起きたとされる(© NHK)
本当にこれだけのデブリが生まれたのか、実は解析や実験によるMCCIの影響評価はまだ道半ばだ。OECD/NEAではMCCIを検証する新たなプロジェクトを開始している。米国のアルゴンヌ国立研究所などと連携、これに内藤たち日本の専門家も加わり、MCCIの真相に迫ろうとしている。注水量の乏しさがどんな事態を生むかを知るために。
日本原子力学会で福島第一原子力発電所廃炉検討委員会の委員長を務める宮野は、大量に発生したデブリが、今後の廃炉作業の大きな障害となると憂慮する。
「279トンってもの凄い量ですよ。しかも核燃料とコンクリートが入り混じって格納容器にこびりついている。取り出すためにはデブリを削る必要がありますが、削り出しをすると、デブリを保管するための貯蔵容器や施設が必要になっていく。本当に削り出して保管するのがいいのか、それとも、削らずこのまま塊で保管するのがいいのかって、そういう問題になっていく。保管場所や処分の方法も考えなければいけない」
長く続く厳しい状況
内藤が続ける。
「当時の状況では厳しいでしょうけど、いま振り返ってみればもっと早く対応ができなかったのかと悔やまれますね。2011年3月23日、1号機の注水ルートを変えたことで原子炉に十分に水が入るようになり、1号機のMCCIは止まりました。では、あと10日早く対応していれば、コリウム(溶け落ちた核燃料などの炉心溶融物)によるMCCIの侵食の量は少なくて済んだ。少ないです、ものすごい……」
廃炉を成し遂げる道に立ちはだかる、1号機格納容器の底にある大量のデブリの取り出し作業。消防注水の抜け道が存在し、MCCIの侵食を食い止められなかったことは、今後長く続く廃炉への道の厳しい状況を生み出してしまったのか……。
2021年、1号機の格納容器内部調査が行われ、原子炉の真下の状況が確認される予定になっている。内藤や宮野らが懸念するのは、下方向だけではないMCCIの横方向への影響だ。
原子炉は構造上、ペデスタルと呼ばれるコンクリートの台座で支えられている。高温の核燃料がメルトスルーによって溶け落ちたとき、この原子炉を支えるコンクリートがどれだけ侵食されているのか、未だに見えていない。長期にわたるデブリの取り出しの間、原子炉を支え続けることができるのか、この核燃料によるコンクリートの侵食の進み具合に専門家たちが注目している(敬称略)。
【現代ismedia】