2011年の東日本大震災から10年を迎える今月、東京電力福島第1原発の事故後も福島県に残って原発問題と向き合ってきた清水修二・福島大名誉教授(72)=福島市=に、福島の現状と将来について聞いた。
差別、偏見、いまだ根深く
今も多くの福島県民が県外に避難しているが、避難するか否かはそれぞれの選択で、互いに尊重し合うべきだ。ただ、避難しなかった者からすれば、避難者が戻ってきてくれるのは純粋にうれしい。冷ややかな目で見られると心配するのは取り越し苦労だと思う。
互いの選択を認め合うと同時に、科学的な議論の土俵を共有することも重要だ。10年間で確かめられた事実をもとに、これからの選択を皆で考えたい。例えば、放射線被ばくによる健康被害については、遺伝的影響も含めて、当初心配されたような深刻な事態は避けられたというのが専門家の多数意見だ。これを、政府や東京電力にとって都合のいい主張と判断して否定するのは正しくない。
子供の甲状腺がんについて、放射線被ばくの影響とは考えにくいという専門家の評価は、間違っていないだろう。被ばく線量、年齢構成、地域分布のいずれから見ても、この評価が冷静で客観的だ。チェルノブイリでは事故の4年後から甲状腺がんが急増したが、福島県での調査結果は異なる。全数調査は「過剰診断」の可能性が高く、学校での集団検査はやめるべきだとの意見に賛成だ。甲状腺がんと診断され、手術を受けた子供たちに「被ばく者」のレッテルを貼り、生涯苦しめるような結果になることを一番懸念している。
善意や正義感が被災者を苦しめる現象を10年間、目の当たりにしてきた。天災とは違い、原発事故は科学的な真偽の問題に政治的な善悪の尺度が持ち込まれやすい。「被ばくによる健康被害がないことを県民は心から望んでいる」と当たり前のことを言って、怒りを買った経験が何度もある。被害が大きいことを望んでいるかのようなゆがんだ見方が、いまだに健在だ。
原発事故は、2000人を超える県民の関連死をもたらした。避難地域の復興はまだ遠いが、同時に人々の間に持ち込まれた亀裂と分断、行政への信頼喪失の修復も容易ではない。結果として長く残るのは、福島に対する根深い差別と偏見だ。福島県民であること、あったことを、隠しながら生きなければならないような人を、決して生んではならない。
清水修二(しみず・しゅうじ)氏
1948年、東京都生まれ。専門は財政学、地域論。2008~12年まで福島大副学長。11年、福島県チェルノブイリ原発事故調査団長として現地訪問。12年、「原発いらない! 福島県民大集会」の呼びかけ人代表に。主な著書に「差別としての原子力」「原発とは結局なんだったのか いま福島で生きる意味」がある。【毎日新聞】