潮の香りが漂うなか、慰霊碑に強い日差しが照りつける。「安全を最優先に……」。関西電力の森本孝社長が手元の式辞用紙に目を落としあいさつを続ける。8月9日、美浜原子力発電所(福井県美浜町)での追悼式。16年前、11人の死傷者を出す蒸気噴出事故が起きた日だ。毎年の式典だが、今年は新型コロナウイルス禍で出席者を絞った。もうひとつ、報道陣に対する社長のコメントも一変した。
東日本大震災後に停止している同3号機の再稼働について、森本社長は「工程ありきで考えていない」と表明。地元自治体の同意を得るため信頼回復に努める考えを示した。昨年までの岩根茂樹前社長は安全を強調したうえで、再稼働やリプレース(建て替え)に意欲を見せていた。
関電は震災後に4基の再稼働を実現し、いまや国内で動く9基のほぼ半分を占める。さらに運転開始から40年を超えた、美浜原発3号機と高浜原発(同県高浜町)1.2号機の計3基でも再稼働を目指す。原発は火力より発電コストが低く、3基のうち1基が稼働すれば月に約25億円の費用が圧縮できる。稼働済みを含めた7基の原発で安全対策工事に1兆円を超える巨費を投じても見合うと判断する。
だが、原発マネーを巡る金品受領問題は、信頼の毀損という面で発電計画に大きな影を落とした。「日程は白紙。地元同意に向けて動いている状態ではない」。福井県の杉本達治知事は9月上旬の記者会見で強調した。
18日には美浜3号機と高浜1号機で、40年を超えて運転するのに必要な安全対策工事を終えた。来年2~4月には「使用前検査」も完了する予定だが、肝心の地元自治体の同意にはメドが立たない。
冒頭の式典から50年と1日前。大阪万博の電光掲示板には、誇らしそうな文字が躍っていた。「本日、関西電力の美浜発電所から原子力の電気が万国博会場に試送電されてきました」。大手9電力で最初の原発。それが初めて送り出した電気が届いた知らせだった。
関電は電源の分散に向け、他社に先駆けて原発に取り組んだ。その後も増設を続け、石油危機を経て1980年代半ばには原子力を発電の中心とする。いったん発電所が完成すれば発電コストが低い原発へと傾斜。震災前の2010年3月期は、総発電量に占める原発比率が54%に上った。
原発の停止で収益が悪化し、最終赤字が4期続いた。2度の電気料金の引き上げで息をつき、原発が再稼働すると値下げを実施。20年3月期も原発比率は27%に達する。いまも関電の経営は原発とともにある。
再稼働に向けては別の課題もある。使用済み核燃料の中間貯蔵施設について、関電は年内をメドに福井県外の候補地を示すと明言してきた。信頼が基盤となる選定だけに、ここにも金品受領問題が響く。候補地を提示できなければ、地元同意にはさらに時間がかかりそうだ。
金品受領問題を巡り、関電は旧経営陣に約19億円の損害賠償を求める訴訟を起こしている。旧経営陣は争う姿勢だ。判決までには数年かかるとみられ、マイナスイメージからの脱却には相当な時間を要する。問題発覚から1年、ガバナンスの乱れが生んだ傷は今後も関電の経営を苦しませそうだ。【日本経済新聞】