政府は4月、東京電力福島第1原子力発電所でたまり続ける処理水の処分について福島県内で意見聴取を始めた。水を加えて大幅に薄め、海洋へ放出する案が最有力だ。政府は漁業関係者らの意見を踏まえて処分方針を決める予定だが、放出による風評被害の懸念は根強く、理解を得るのは難しそうだ。
福島第1原発は2011年の東日本大震災による津波の影響で水素爆発や炉心溶融(メルトダウン)を伴う事故を起こした。現在も壊れた建屋に地下水や雨水が入り込み、高濃度の放射性物質に汚染した水が1日180トン(19年度)発生している。
この汚染水から専用装置で主要な放射性物質を取り除いた後の水が処理水だ。ただ処理水には取り除くのが難しい放射性物質トリチウム(三重水素)が残っている。トリチウムを含む水は通常の原発でも発生し、濃度を基準値以下に薄めて海に流すことが国際的に認められている。
原発の安全性を担う原子力規制委員会委員長の更田豊志さんは「海洋へ放出するのが最も合理的だ」と提案しているが、政府はこれまで風評被害への懸念に配慮してタンクでため続けてきた。4月23日時点で原発敷地内に林立する約1000基のタンクには120万トンの処理水がたまっている。東電は20年中に計137万トンの処理水が入るタンクを確保するが、22年夏ごろにも満杯になるという。
経済産業省は有識者による検討をのべ6年かけて20年2月に、海洋放出と蒸発させて大気に出す水蒸気放出の2つの案が「現実的な選択肢だ」とする報告書をまとめた。そのうち国内で実績がある海洋放出が「より確実に処分できる」とした。国際原子力機関(IAEA)も2案について技術的に実現可能との見解をまとめている。
東電は3月下旬、処分方法の具体的な手順を公表した。現在保管している処理水の約7割はトリチウム以外の放射性物質濃度が規制基準を超えているため、まず多核種除去設備(ALPS)などでセシウムなど62種の放射性物質を取り除く。その後、トリチウム以外の放射性物質を取り除いた処理水は、新たに水を加えて500~600倍に薄めて海に流す。放出時のトリチウム濃度は基準値の40分の1程度にとどまる見込みだ。
また海洋へ放出する場合には、原発周辺における海水の放射性物質濃度の監視を強化して異常があれば速やかに放出を止める。一方、水蒸気放出については風や雨などの気象条件に左右されて拡散を予測するのが難しいという。
政府は地元などの関係者の意見を聞いた上で、処分方法を決定する。そのため、意見聴取会を4月6日と13日に福島県で、5月11日には都内でそれぞれ開いた。海洋放出による影響を最も心配しているのは漁業関係者だ。福島県漁業協同組合連合会会長の野崎哲さんは「若い後継者に将来を約束していくためにも海洋放出には反対だ」と表明した。
漁業関係者が懸念しているのは、新たな風評被害の発生だ。福島県では放射性物質の濃度を調べながら安全性が確認された魚介類だけを出荷している。それにもかかわらず県内の漁獲量は原発事故前の14%までしか回復していない。
放出に慎重な地元関係者の多くは海洋放出そのものを危険視しているわけではない。福島県知事の内堀雅雄さんはトリチウムの科学的性質や海外での処分状況などに関して「正確な情報が広く伝わっていない」と危惧する。正確な情報が理解されないまま、処理水が海洋へ放出されたという事実が広く伝われば、福島県産を買い控えるなど新たな風評被害が発生して、漁獲量がさらに減少する恐れがある。
今後、政府は漁業関係者の全国組織も含めて幅広く意見を聞く。政府は「スケジュールありきではない」と処分方法を判断する期限は決めていないとしている。ただ処分方法を決めてから実際の海洋放出までに、規制当局への申請や設備の建設などを含めて2年程度の時間がかかるとされる。このままタンクを増設しないのであれば今夏にも判断しなければならない。タンク増設の余地の有無を示し、風評被害を減らす努力にどれくらいの時間を費やすことができるのか。明確に示すべき時が来ている。【日本経済新聞】
水素の放射性同位体で三重水素とも呼ばれる。水の中では水素原子(H)、トリチウム(T)、酸素原子(O)が結びついた「HTO」として存在する。水素と化学的性質が似ており、水と一体となっているため、現在の技術では取り除くのが難しい。
自然界にも大気中の水蒸気や雨水などにごくわずかに存在し、放つ放射線は弱い。東電の試算では保管中の処理水は約860兆ベクレルのトリチウムを含んでいる。トリチウム水だけで換算すれば、コップ1杯にも満たない約16グラムという。