全国の原子力発電所の中で2011年の東日本大震災の震源に最も近い東北電力女川原発(宮城県女川町、石巻市)の2号機が11月、原子力規制委員会の安全審査に事実上合格した。高さ約13メートルの津波や激しい揺れに襲われても、事前の設計が奏功して事故を免れた。ただ、被災した建物の健全性評価などに時間がかかり、審査に約6年を費やした。たびたび津波や地震に襲われてきた三陸地方にある同原発のあり方は他原発の行く末にも影響する。
大震災後に定期検査などで止まった原発は、炉心溶融(メルトダウン)に至った東京電力福島第1原発事故の反省を踏まえてできた新規制基準に合格しない限り再稼働できない。女川原発が新規制基準に基づく審査に正式に合格すれば、9原発16基目となる。被災した原発では日本原子力発電の東海第2原発(茨城県東海村)に続いて2基目だ。
大震災では女川など主に4つの原発を津波が襲った。事故を起こした福島第1、事故を免れた福島第2、東海第2だ。福島第2や東海第2に襲来した津波の高さは10メートルに満たなかったが、震源から約130キロメートルの牡鹿半島に位置する女川原発には、福島第1に匹敵する約13メートルの津波が押し寄せた。
福島第1と明暗を分けた主な要因の一つは敷地の高さだ。海抜10メートル弱だった福島第1に対し、女川は14.8メートル。東北電によると、1号機の設計時に歴史的な津波災害を踏まえて敷地の高さを決めたという。三陸地方は869年の貞観地震、1611年の慶長三陸地震に伴う津波などで多大な被害を受けてきたためだ。
大震災の津波は敷地を越えることはなかった。国際原子力機関(IAEA)は調査報告書で「小さなダメージはあったが、構造物は驚くほど損傷を受けていない。設計時に十分な裕度があったことを示している」と評価した。
だが、大震災で何も起きなかったわけではない。震災時、1、3号機は営業運転中、2号機は定期検査中で原子炉の起動を始めたばかりだった。震度6弱、最大で567.5ガル(ガルは加速度の単位)の揺れに見舞われて、原子炉は自動停止した。
原子炉を冷やすための非常用電源は使えたが、外部電源の一部を失った。地震の影響で1号機の一部設備が損傷した。津波の影響で重油をためるタンクが倒壊したほか、取水口を経由して2号機の一部建屋が浸水した。こうした事態も踏まえて、新規制基準に伴って津波や地震動の想定を引き上げた。総延長800メートル、海抜約29メートルの防潮堤を築き、耐震性を強化する工事を実施している。
被災した原発だったことも規制委の審査を長引かせた。2号機の建屋で1100カ所以上の小さなひび割れがあったことから、今後起きる地震にも耐えうるかどうかを試験なども実施して確認した。
津波対策のために設ける防潮堤は別の懸念につながった。敷地内の地下水が防潮堤の地下構造物にせき止められて水位が上昇する恐れがあった。地下水をくみ上げる井戸について、原子炉を冷やす装置などと同様に安全上重要な施設と位置づけたことで審査が厳しくなった。
被災した原発として最初に安全審査を申請したものの、審査に約6年かかった。事故を起こした福島第1と同型の原発としても東京電力柏崎刈羽6、7号機(新潟県)、日本原電東海第2に遅れた。規制委によると、東北電は他社に先駆けてまで審査を急ぐ様子はなかったという。原子力規制委員長の更田豊志さんは「ガツガツしておらず、非常に慎重だった。堅実、確実なのは良いことだ」と一定の評価をする。
今後の焦点は再稼働の時期だ。規制委の審査に合格済みでも再稼働できていない原発が全国に6基ある。東北電が20年度に終えるとしている安全対策工事に加えて、地元同意が重要な鍵を握る。
震災直後、女川原発には最大364人の被災者が避難した。エネルギー産業に詳しい東京理科大学教授の橘川武郎さんは「地震や津波に耐えて避難所にもなったということもあり地元との関係は良好だ」として、ほかの原発に比べれば地元同意を得やすいとみている。実際に地元との信頼関係が築けているかはこれからの同意手続きで試される。信頼関係は一朝一夕には築けない。他原発にも重い教訓だ。
■原発の新規制基準
炉心溶融や水素爆発を招いた東電福島第1原発の事故を踏まえて、2013年7月に施行した規制基準。福島第1では、津波の影響で原子炉を冷やし続けるために必要な電源設備などが使えなくなり、内部が高温になって事故に至った。新基準では津波や地震の対策を強化したほか、過酷事故に備えた対策も求めた。
具体的には事故時に原発内の空気を放出して内部圧力を下げる際に使う放射性物質を取り除く機能を備えたベント(排気)設備などがある。テロ対策を新設したほか、運転許可が出た原発でも新知見に基づく規制を義務付ける「バックフィット制度」も導入した。【日本経済新聞】