ブラックアウト 北海道電力の45時間
経済インサイド・特別編
昨年9月、国内初のブラックアウトが発生し、市民生活が大混乱に陥っていたとき、北海道電力で何が起きていたのか。当事者の証言をもとに描く「経済インサイド・特別編」の第2回は、電気がない状態で発電所を立ち上げていく「ブラックスタート」に焦点をあてる。=敬称略、肩書は当時
電気ゼロからのスタート
「北海道系統は全停(全域停電)になりました。これより復旧作業に入ります。所定の手順に従い、準備を進めてください」
2018年9月6日午前3時27分。北海道電力本店(札幌市)の中央給電指令所。指令長の森田將敬(49)は、ホットラインを通じて社内の関係部署に一斉に呼びかけた。
離島を除く北海道全域で295万戸が停電するブラックアウトから2分後のことだ。森田は動揺を抑え、一刻も早い復旧に向けて集中しようとしていた。
最大震度7を観測した北海道胆振(いぶり)東部地震で、道内最大の火力発電所、苫東厚真(とまとうあつま)発電所(厚真町)が停止。電力の需要(使用量)と供給(発電量)のバランスが崩れ、ほかの発電所も設備の故障を防ぐために連鎖的に止まった。北海道の送電網から電気がなくなっていた。
ブラックアウトが国内初なら、電気が全くない状態から発電所を立ち上げていく「ブラックスタート」もまた、日本の電力会社にとって初めての経験だった。
復旧作業の開始を呼びかけたのは、旭川、札幌、苫小牧、函館、釧路の各エリアに計5カ所ある「系統制御所」だ。
本店の中央給電指令所では、火力発電所や原子力発電所、主要な送電線といった電力系統全体を見ながら需給バランスを調整している。これに対し、系統制御所は各エリアのすべての送電線や変電所を監視し、ひとたび事故が起きれば現場に復旧作業の指示を出す。
そのうちの一つ、苫小牧系統制御所は、震度7を観測した厚真町の隣の安平町にある。地震から30分後の9月6日午前3時半すぎ。系統運用のグループリーダー、小島光博(55)は社宅から車で5分ほどの事務所に駆けつけ、当直の担当者から報告を受けた。
「本当にブラックアウトが起きるとは」
入社以来、30年以上を系統運用部門で過ごしたベテランの小島も、目の前で起きていることが信じられなかった。だが、すぐに気持ちを切り替えないといけなかった。
台風で電柱が倒れたり、送電線が切れたりして起きる通常の停電の場合、それらを直せば電気は戻る。だが、ブラックアウトでは、すべての発電所が停止し、送電網から電気が消えている。発電所をふたたび動かすのにも電気が必要だが、それがない。
「種火をつくり、少しずつ大きくする」
そこで「種火」となるのが水力発電所だ。
ダムから落とす水で水車を回して電気をつくるため、火力発電所のように起動するときに大量の電気を必要としない。停電した状態でも、非常用発電機でつくる少しの電気で再稼働できる。
水力発電所の電気を使い、より多くの電気をつくれる火力発電所を立ち上げていく作業がブラックスタートだ。
「種火をつくり、少しずつ大きくしていく。慎重に、慎重に」
小島はそう表現する。
その種火の役割を果たすのが、苫小牧系統制御所が担当するエリアにある新冠(にいかっぷ)発電所(新冠町)と高見発電所(新ひだか町)だ。系統制御所が遠隔で操作することになっている。
ところが、地震の影響なのか、新冠発電所の非常用発電機に故障表示が出て、動かせなくなっていた。
「高見でいこう」
本店の中央給電指令所と相談し、高見発電所1号機を最初に立ち上げる方針が決まった。起動のスイッチが押された。
9月6日午前4時。発電所や送電線の状況をリアルタイムで示す系統監視盤に、高見1号機の出力が「1」と表示された。1千キロワットの電気をつくり始めたことを示していた。地震発生当時の電力需要(308万7千キロワット)の0・03%にすぎないが、北海道をふたたび照らすための種火がともった。
ブラックアウトの発生から35分後。手探りの復旧作業が始まった。
ガラス細工のような作業
非常用発電機の電気を使い、高見発電所の1号機が再稼働した。北海道をふたたび照らす「種火」として、発電能力(10万キロワット)の1%にあたる1千キロワットの電気をつくり始めた。
だが、すぐに発電量は上げられない。電力の需要と供給のバランスが崩れると、再び発電所が停止してしまうからだ。発電所や変電所が使う電気の量を計算しながら、少しずつ発電量を上げていくしかない。
電圧にも細心の注意を払う必要があった。空っぽの送電線に電気を流すと、電圧が急上昇して発電機が停止しかねない。電圧の上昇を抑える装置を手動で操作しながら、電気を流す送電線を少しずつ広げ、別の水力発電所を立ち上げていく。そんなガラス細工のような作業を、苫小牧系統制御所では続けていた。
「ミスが許されない。プレッシャーがかかっていた」と小島は打ち明ける。
泊原発へ送電、「なぜ落ちるんだ!」
高見1号機の再稼働から約30分で、近くにある三つの水力発電所が再稼働した。ただ、一般家庭の復旧はまだ先。何よりも優先すべき作業が残っていた。
原子力発電所への送電だ。
写真・図版ブラックアウトで一時外部電源を喪失した泊原発=2018年9月6日午前11時32分、北海道泊村、朝日新聞社機から、山本壮一郎撮影
泊原発(泊村、1~3号機)も停電していた。原発が外部電源を失うのは2011年3月の東京電力福島第一原発事故のときと同じ。泊原発では非常用発電機が起動し、使用済み核燃料の冷却は続けていた。発電機の燃料は少なくとも1週間分はあったが、緊急事態だった。
「一刻も早く解消しないといけない」
北電本店。中央給電指令所の指令長の森田は、放射性物質の漏洩(ろうえい)がないことを泊原発に電話して確認し、復旧作業を急いだ。
泊原発から直線距離で約200キロ離れた山奥でともった水力発電所の「種火」は徐々に大きくなり、札幌圏を通り抜けて、原発に通じる送電線に電気が戻った。
午前6時9分。泊原発への送電が始まった。1号機、2号機に続き、3号機の変圧器に送電したときだった。
午前6時19分。大電流が送電線に流れ、電圧上昇を抑える装置が停止。2分後には送電線の事故も発生し、高見を含む三つの水力発電所が停止してしまった。
復旧作業は振り出しに戻った。
「なぜ落ちるんだ!」
苫小牧系統制御所で作業を見守っていた小島は叫んだ。思わぬ事態に慌てた本店からは「次にどこが起動できるのか。大至急、確認を」と指示が出ていた。
その直後、故障で動かせなくなっていた、もう一つの種火をつくる新冠発電所から「再起動が可能」との電話が入った。
真っ暗の山道を駆ける
話は2時間ほど前にさかのぼる。
9月6日午前4時半。真っ暗の山道を、トヨタの四輪駆動車「ランドクルーザー」が北へ向かっていた。
競走馬の産地として知られる新ひだか町。北海道電力静内(しずない)水力センター発電課の総括主任、上野勝利(46)は同僚3人とともに事務所から50キロ離れた新冠(にいかっぷ)水力発電所(新冠町)に急いでいた。市街地を抜け、郊外に広がる牧場を通り過ぎると、その後は舗装されていない山道が20キロ以上続く。
写真・図版新冠水力発電所までの山道は、道路脇の斜面が崩壊する恐れがあるため、普段から一般の立ち入りは禁止されている=2019年8月
「地震で道が崩落しているかもしれない」
車1台がようやく通れるくらい細く、曲がりくねった砂利道で体が小刻みに揺れる。車のヘッドライトだけが頼りの暗闇から、エゾシカやキタキツネ、ヒグマがいつ飛び出してくるかも分からない。時速は20キロほどしか出せない。
午前3時7分に発生した北海道胆振(いぶり)東部地震。震源地から70キロ離れた新ひだか町は震度5強を観測した。上野は、社宅から車で5分ほどの事務所にすぐに出勤。午前3時50分、停電で真っ暗になった事務所を慌ただしく出発していた。
急ぐのには理由があった。
目的地の新冠発電所は、ブラックアウトが発生した場合、最初に運転を始める発電所の一つに指定されている。
ダムから落とす水で水車を回して発電するため、火力発電所のように大型ポンプや通風機などの設備を動かす大量の電気を必要としない。停電した状態でも、非常用発電機で再稼働できる。
静内水力センターでは9カ所の水力発電所の維持管理を担当しているが、このうち新冠、高見の2カ所がブラックアウトからの復旧作業(ブラックスタート)の起点となる。
だが、新冠発電所の非常用発電機が故障で動かせなくなっていた。水力発電所は遠隔で操作するため、人は常駐していない。原因を調べるために現地に向かう必要があった。
「一刻を争う状況だ」
上野はまず、非常用発電機がある発電所近くの変電施設に向かった。
到着したのは午前5時10分。発電機の制御装置がある建物内では、故障表示のランプが点灯していた。
「ジャー」配管から音が
幸い、故障は深刻なものではなかった。
非常用発電機は、停電を察知すると自動的に立ち上がる。このため地震直後、送電線の事故による一時的な停電が発生した際にいったん起動。このときの排熱が故障として認識され、ブラックアウト後に再起動できなくなっていた。
上野が故障表示を解除するボタンを押すと、「ブーン」と、けたたましい音を出して発電機が回り始めた。
地下に設置された発電所に入ると、電気が戻っていた。設備に異常がないか、1時間かけて一つずつ点検し、運転再開に問題がないことを確認した。
「故障表示は解除しました。再起動、かけられます」
発電所の起動操作を行う苫小牧系統制御所(安平町)に報告した。
電話を切ってから1分ほどたっただろうか。午前6時27分。蛇口から水が飛び出すような「ジャー」という音が響き始めた。配管に水が回り始めていた。
9月6日午前6時半。新冠発電所1号機(10万キロワット)が発電を開始した。
このとき、上野は知らなかったが、北電の本店や苫小牧系統制御所は大騒ぎになっていた。新冠の故障を受け、もう一つの高見発電所から始めたブラックスタートが失敗していたからだ。
新冠発電所の点検を終えた上野が電話を入れたのは、その5分後だった。
「あれがなければ復旧はもっと遅れていた。ファインプレーだった」。苫小牧系統制御所で系統運用のグループリーダーをつとめる小島は振り返る。
9月6日午前6時半、新冠発電所を起点に2度目のブラックスタートが始まった。
送電ルートを一部変更し、1度目に失敗したときとは別の変圧器を経由した結果、泊3号機への送電は成功。原発の外部電源は、ブラックアウトから約9時間半後の午後1時までにすべて回復した。
あとは火力発電所が再稼働すれば、一般家庭への送電を本格的に始められるところまでこぎつけた。
写真・図版地震後に出火した苫東厚真発電所4号機のタービン。7月から点検作業に入っている=2019年7月、北海道厚真町
だが、その期待を背負っていた道内最大の火力発電所は、思わぬ事態に見舞われていた。
暗闇の点検、危険すぎる
ブラックアウトの引き金となった北海道最大の火力発電所、苫東厚真(とまとうあつま)発電所(厚真町)も、復旧へ動き出していた。
2018年9月6日午前4時すぎ。地震発生から約1時間が経過し、当直勤務の11人が詰めていた中央操作室には所員が続々と集まってきた。発電課長の小貫晃司(50)もその一人。全3基のうち、最後まで運転を続けていた1号機も停止し、ブラックアウトが起きたことを知らされ、言葉を失った。「とんでもないことになった」と思いつつ、気持ちを切り替えるしかなかった。
苫東厚真発電所は地震当時、北海道の電力需要の半分近くをまかなっていた。この発電所の復旧なしに、電力の安定を取り戻せないのは明らかだった。
発電所を再稼働するためには、ボイラーやタービンといった設備を見て回り、正常に動くかを確認する必要がある。
だが、発電所も停電している。地震で通路や階段が崩れているかもしれない。1号機のボイラーからは蒸気漏れとみられる轟音(ごうおん)がまだ響いていた。暗闇の中を手探りで現場に向かうのは危険すぎた。
まずとりかかったのは所員とその家族の安否確認。地元の厚真町では大規模な土砂崩れが発生し、37人(災害関連死を含む)が犠牲になった。地震当時、小貫も町内の社宅にいたが、洗濯機はホースが外れて横倒しになり、電子レンジは床に吹き飛んでいた。「建物がつぶれる」と感じるほどの揺れ。最悪の事態も頭によぎったが、幸い、全員無事だった。
夜が明け始めた午前5時、設備の点検を開始した。通常は1人だが、安全に配慮して2人1組で向かうよう指示した。
1号機(35万キロワット)と2号機(60万キロワット)はボイラーの損傷が激しく、早期の再稼働は難しいことが分かった。周辺にはボイラーの保温材の一部が吹き飛んで散乱していた。一方で、発電出力が最も大きい4号機(70万キロワット)は、設備に大きな損傷は見当たらなかった。
午前5時52分。本店の中央給電指令所に状況を報告し、4号機の再稼働を優先する方針が固まった。
道内各地で停電の影響が広がり始めていた。テレビが映らず、携帯電話の充電が切れて情報が得られない人が続出した。信号機も消えて物流が止まり、コンビニの棚からは食料品がなくなった。
絶望の出火、打ち砕かれた希望
4号機がフル稼働すれば、地震当時の電力需要(308万7千キロワット)の2割強の供給力を一気に確保できる。完全復旧とはいかないが、多くの地域に電気を届けられる。
だが、希望は打ち砕かれた。
午前9時18分。信じられない知らせが発電所の中央操作室に飛び込んできた。
「4号機のタービンから出火」
再稼働に向けた動作確認をしているときだった。保修課長の沖田雅継(47)はすぐに現場に向かった。
分厚い外壁に覆われたタービンから煙が上がっていた。タービンを回すための潤滑油が内部で漏れて保温材に染み込み、停止後も500度近い熱をもつタービン内部で発火していた。
「水はかけないでくれ」
沖田は叫んだ。急激に冷やすとタービンがゆがみ、点検のために分解が必要になる恐れがあった。そうすれば、早期復旧が遠のく。
ありったけの消火器64本をかき集め、粉末の消火剤を吹きつけた。だが、消しても消しても、漏れた油がタービンの熱で発火し、炎が上がってくる。
水に切り替えるしかなかった。
午前10時15分。発電所の通報で駆けつけた地元の消防隊が鎮火を確認した。
「あのときは本当に絶望した」と沖田は振り返る。
写真・図版ブラックアウト後、火力発電所のなかで最初に運転を始めた砂川発電所=2019年8月、北海道砂川市
北海道に電気を取り戻す役割は、他の火力発電所に頼らざるを得なくなった。
古い石炭火力、先陣
そのトップバッターをつとめたのが、国内有数の産炭地だった空知(そらち)地方にある砂川発電所(砂川市)。3号機(12・5万キロワット)が77年6月、4号機(同)が82年5月の運転開始で、今も地元の石炭を燃料に使っている古い発電所だ。
地震が発生したときは停止中で、3号機が6日午前11時、4号機が6日午後2時に発電を始める予定だった。
だが、ブラックアウトが発生し、通常の再稼働とは状況が異なる。発電課の運転担当課長、今野正利(54)は「こんなに神経を使うのか」と戸惑っていた。
水力発電所でつくった電気が届き、発電所の照明は午前6時すぎには復旧したが、発電設備はすぐには動かせない。
火力発電所は、ポンプや通風機といった補助機器が大量の電気を使う。水力発電所のわずかな電気しかない状態で一気に動かすと、電力の需要と供給のバランスが崩れて再び停電しかねない。
機器を1台動かすのにも、電力の需給バランスに目を光らせている札幌系統制御所(札幌市)の了解が必要だった。
2010年4月から砂川発電所に勤務し、設備を知り尽くしているはずの今野も、機器の消費電力までは把握していなかった。設備の仕様書を引っ張り出し、1台1台確認するように指示した。
午前7時。札幌系統制御所からの了解を得て、取水ポンプを起動させた。発電所の近くを流れる石狩川の水をくみ上げるための機器で、消費電力は620キロワット。一般家庭200世帯が使う電気に相当する。系統制御所と電話をつないだまま、「3、2、1」とカウントダウンして操作盤のレバーを回した。
主要な補助機器の起動を終えたのは午前8時を回っていた。だが、いよいよ再稼働の準備に入ろうと思った矢先に、今度は本店の中央給電指令所から「ちょっと待ってほしい」とストップがかかった。
発電所がつくる電気を受け入れる準備が整っていなかった。周囲の送電線がまだ完全に復旧しておらず、電気が増えすぎても需要と供給のバランスを保てなくなるためだ。
ゴーサインが出たのは4時間後の6日午後0時3分。
「ちゃんと動いてくれるだろうか」
やきもきする思いを抑えながら待っていた今野は、一抹の不安を抱えていた。発電所がある砂川市は震度4。点検に全力を尽くしたつもりだったが、地震の影響がないとは言い切れない。
火力総動員、99%復旧
心配は杞憂(きゆう)だった。
6日午後1時35分。砂川発電所3号機が発電を始めた。
その後、道内各地で他の火力発電所が運転を再開していく。8日午前0時には本州とつながる送電設備「北本連系線」(60万キロワット)がフル稼働した。
地震前と同じ300万キロワット超の供給力を確保し、8日午前0時13分に最後に残っていた釧路エリアへの送電が完了した。ブラックアウトから約45時間がたっていた。
8日午前2時には、電柱が倒れるなどの影響で電気を送れないケースを除き、全世帯の99%にあたる292万戸で停電が復旧した。
写真・図版ブラックアウトで真っ暗になった繁華街ススキノでは、警官が手信号で交通の誘導をしていた=2018年9月6日午前3時44分、札幌市、白井伸洋撮影
ただ、老朽化した火力発電所を総動員している状態で、安定供給にはほど遠かった。政府による節電要請は続き、北海道最大の歓楽街ススキノ(札幌市)のネオンや、さっぽろテレビ塔の照明が点灯するのは、9月19日まで待たなければならなかった。【朝日新聞】