とてつもない災厄を地域に与えた2011年の東京電力福島第一原発事故は、どう裁かれるのか。
福島県民ら1万人を超す人々が国や東電に慰謝料などを求めた全国で約30件にのぼる集団訴訟の審理が山場を迎えている。強制起訴された東電旧経営陣3人の刑事裁判の判決も9月に出る。原告や関係者のいまを追った。
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「キャベツ畑に立っているように見えたんです。したら、あー、足が地面についていなかった。木にロープがかかっていて……」
福島県須賀川(すかがわ)市で農業を営む樽川和也さん(44)はドキュメンタリー映画「大地を受け継ぐ」の中で、首をつった父・久志さんを見つけた時のことを涙声で語った。
野菜の出荷停止の通知があった11年3月23日の翌朝のことだ。
無農薬で育てた7500個のキャベツは収穫間際。作物と農地が汚染されたことへの絶望感ははかりしれない。和也さんは久志さんを一人では下ろせず、母を呼んで2人がかりでロープを外した。
和也さんはその後をどう過ごしているだろう。放射能の影響を考えて露地でなくビニールハウスで栽培するトウモロコシの収穫期を前に、自宅を訪ねた。記憶に残る東電の対応を教えてくれた。
「大変なご心配とご迷惑をおかけしております」。父の自死をめぐっては東電と和解に至ったが、届いた文書にはそう書かれてあった。和也さんは言う。「野菜の出荷停止とかの賠償もまず、その文章で始まるのね。パソコンに入っている定型文ですよね」
久志さんは農業の師だった。「オヤジはいい土をつくるのに百年かかると言っていました」。米や大豆などの放射能は基準値以下でもゼロではなかった。ただ、東電が賠償するのはあくまで事故前との差額分なので、売らなければならない。「罪を犯しているみたいな気分でした」
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父のことを真剣に聞いてくれた弁護士が取り組む、元の生業(なりわい)と地域を返せと訴える「生業訴訟」の原告になった。「おまえら、何の責任も取ってねえべって」
「生業訴訟」の第1陣の原告数は全国の集団訴訟で最大の3824人いる。和也さんは原告たちを代表して15年11月、福島地裁での本人尋問で証言台に立った。
尋問の核心は、父が丹精こめた農地という「現場」だった。出荷できなくなったキャベツは「トラクターで土に耕した」。田んぼには放射能の吸収を抑える塩化カリウムをまいた。そして訴えた。
「農地は農業者にとっては働く職場なんです。それを事故によって一瞬にして汚染され、職場を奪われたのと同じような状態です」
福島地裁は17年10月、国と東電の責任を認め、一部の賠償を命じたが、放射線量を事故前の水準に下げる原状回復請求は、実現可能な方法がないなどとして却下した。これに原告と被告の双方が控訴し、仙台高裁での審理が進む。
事故から8年余――。汚染された自作飼料の腐葉土などを詰めたフレコンバッグ24個が樽川さん宅の敷地に埋まったままの状態は何も変わっていない。【朝日新聞】