東京電力は福島第1原子力発電所3号機の使用済み核燃料プールから核燃料の取り出しを始めた。炉心溶融(メルトダウン)を起こした1~3号機では初めてで、今後の廃炉作業が順調に進むかどうかの試金石となる。最大の難関とされる原子炉内で溶け落ちた核燃料(デブリ)の取り出しもこれからで廃炉の出口はなお見えてこない。
核燃料は原子炉内で核分裂反応を起こして、熱を発生させて発電するために使う。鉱物として存在する天然ウランには核分裂を起こしやすいウラン235が約0.7%しか含まれていないため、人工的に3~5%まで濃縮して核燃料を作る。
棒状の燃料を束ねて原子炉に入れて核反応を起こさせる。使い終わった核燃料は原子炉建屋の上部にある使用済み燃料プールに保管して冷やす。使用済み核燃料はウランのほかに、プルトニウムを約1%、セシウムなどの核分裂生成物を約3~5%含み、熱や強い放射線を出す。
3号機は水素爆発で原子炉建屋の屋根が吹き飛んだ。再び大きな地震や津波に襲われれば、さらに建物や機器が損傷する恐れがあり、使用済み核燃料の取り出しは廃炉の重要な工程だ。
15日の作業では3号機から約500メートル離れた遠隔操作室で、担当者がモニターで核燃料の位置を確認しながら慎重に取り出し装置を操作した。金属製の腕が重さ約250キログラムの核燃料をゆっくりと持ち上げた。長さ4メートルの燃料を約10分かけて専用ラックから引き抜き、約10メートル離れた輸送容器まで運んだ。取り出しを始めて約1時間後に1体目の核燃料が容器の中に入った。
遠隔装置を使った取り出し作業は初めての取り組みで、慎重に進める必要がある。15日の1本目の作業は当初の想定より早く、順調なスタートを切ったかに思えたが、2体目でトラブルが起きた。核燃料を輸送容器に入れるところまではよかったが、核燃料の持ち手に金属製の腕がひっかかって、一時外れなくなった。遠隔操作の難しさを感じさせた一幕だった。
輸送容器には7体の核燃料を入れて、トレーラーで3号機から約100メートル離れた別のプールに移す。約2年で3号機の566体を移動させる。福島第1原子力発電所長の磯貝智彦氏は「一つのゴールではなく、廃炉作業を進めていくための新たなスタートと考えている」と強調する。
ただ、3号機の廃炉作業が順調に進む保証はない。そもそも当初予定より開始が4年以上遅れているうえ、最近も準備作業でトラブルが続出した。核燃料の上には小さながれきが散乱していて、取り出せないリスクもある。
3号機の作業が進んでも、その後にはより難しい1、2号機が控える。1号機は水素爆発でプールの上に積み重なった大きながれきの撤去に苦戦している。水素爆発が起きなかった2号機は放射性物質がプールの上の床に堆積しているとみられ、高い放射線量が作業を阻んでいる。予定通り23年度に開始できるか予断を許さない状況にある。
廃炉工程で最も難しいデブリの取り出しは、手法を研究開発している段階。1~3号機では高温になった核燃料が周囲の機器などを巻き込んで溶け落ちた。原子炉圧力容器やその外側の原子炉格納容器の底に堆積している。
デブリはどこにどれだけあるのか、その成分すら分かっていない。推定では1~3号機で880トンあるという。放射線量が高くて人は近づけない。ロボットなどを駆使した遠隔操作による取り出し法を、三菱重工業や東芝などの原発メーカーも入った国際廃炉研究開発機構で模索している。
政府・東電は19年度中に最初にデブリを取り出す号機を決める。最も研究が進む2号機が有力候補だ。ただ、まだ一度もデブリを原子炉から取り出したことはない。19年度中に1、2号機で試料として取り出す予定だ。本格的な取り出しを始める21年に研究開発が間に合うかどうかの見通しは立っていない。
政府・東電は廃炉にかかる時間は30~40年と説明している。この8年の歩みがゆっくりだっただけに、残された時間は長いようで短い。
■福島第1原発
福島県大熊町と双葉町にまたがる東京電力所有の原子力発電所。東京からの距離は220キロメートル。1971年に営業運転を始めて、首都圏に電気を送ってきたが、2011年の東日本大震災の影響で事故を起こした。事故当時、1~6号機のうち、1~3号機が営業運転中で4~6号機は定期点検で止まっていた。
地震で1~3号機は自動停止したものの、津波に襲われて原子炉を冷却できなくなった。高温になった核燃料が溶け、原子炉圧力容器の底を突き破る炉心溶融(メルトダウン)が起きた。1、3、4号機では水素爆発が起きて、建物や設備が損傷した。【日本経済新聞】