エコー(超音波)検査器に映し出される子どもの甲状腺の画面を見ながら、医師の説明を聞いた千葉県松戸市に住む母親(35)は、胸をなで下ろした。
「ほっとしました」
検査結果は「所見なし」。この時点では問題は見当たらなかった。
1月中旬、同市の市民センターで開かれた「甲状腺エコー検査」。母親は小学3年の長女(8)と幼稚園に通う長男(5)を連れて訪れた。
放射線の健康への影響で明らかなのは、がんになる危険性が高まることだ。中でも懸念されるのが「子どもの甲状腺がん」。放射性ヨウ素は体の中で甲状腺に集まり、子どもほど吸収しやすいとされる。
先の母親は原発事故後、食べ物に気を使うなどしていたが、放射能が子どもの健康に与える影響がわからずに不安を抱いてきた。そんな時、自宅マンションのポストに甲状腺エコー検査を実施するとのチラシが入っているのを見て訪れた。帰り際にこう話した。
「今回は大丈夫でしたけど、やはり不安はあります。これからも定期的に検査していきたい」
検査を実施したのは、市民団体「関東子ども健康調査支援基金」(茨城県守谷市)。関東地方の汚染状況重点調査地域の子どもたちを対象に2013年10月、各地の住民団体などと協力して検査を始めた。
検査はこれまで群馬県を除く1都5県、延べ約130会場で実施。昨年9月までの約5年間で、事故当時18歳以下の延べ8639人が検査を受けた。そのうち結節(しこり)や、嚢胞(のうほう=液体がたまった袋のようなもの)の大きさなどから病院での受診が必要な「要専門医」と判断されたのは0.5%に当たる41人。現在のところ小児甲状腺がんの子どもは、同基金が検査した範囲ではいないという。
同基金共同代表の木本さゆりさん(49)は言う。
「今は何でもなくても、影響がいつ表れるかわからない以上、不安を持つ保護者やお子さんの気持ちによりそって検査を続けたいと思います」
原発事故で放出された放射性ヨウ素はすでに消滅しているが、半減期が約30年のセシウム137は、今も放射線を出し続けている。放射線に長い間少しずつさらされると、時間がたって健康に影響が表れることが多いといわれる。原発事故から8年になろうとしても不安を持つ人がいるのはそのためだ。
12年4月から活動する市民放射線測定所・NPO法人「新宿代々木市民測定所」(東京都)には、今も全国から尿や野菜、コメ、キノコ、公園の土壌など月50件近い測定の依頼が来る。理事・伏屋(ふせや)弓子さんは言う。
「事故直後から食べ物に対する不安の温度差はありました。今も同じ。健康への被害を心配される人は少なくありません」
放射能のリスクとどう向き合えばいいのか。環境中のさまざまな放射能測定に取り組む、東京大学大学院助教の小豆川勝見(しょうずがわかつみ)さん(環境分析化学)は、課題のひとつに教育を挙げる。
「学校でも教師の多くは放射能について十分な知識を持たないのではないでしょうか」
必要なのは、セシウムとは何か、放射線とは何なのかを知り気兼ねなく話し合いができる環境。そのためには、特に若い世代への教育が必要だと説く。
「放射能の議論は必ず次の世代にも影響する。学校教育などでしっかり放射能の話をしなければいけない」
では、いまこの瞬間に何をすべきなのか。冒頭で紹介した甲状腺エコー検査の協力医の一人で、島根大学医学部の野宗(のそう)義博・特任教授は次のように話した。
「低線量での放射能の健康被害はわかっていない。しかし、リスクがゼロでない以上、検査には意義がある。がんが見つかればショックかもしれませんが、すぐに処置すれば小さな手術で済む。大切なのは継続して検査を行うことです」
復興が進み、戻りつつある「日常」と、終わらない「困難」。背負ったものの重さを改めて思った。
【AERA】 2019年3月18日号