東京電力福島第一原子力発電所の事故で神奈川県に避難した住民などが、生活の基盤を失い精神的な苦痛を受けたと訴えた集団訴訟で、横浜地方裁判所は「対策を取っていれば事故は回避できた」などとして、被告の国と東京電力に対して合わせて4億1900万円余りの賠償を命じました。
福島第一原発の事故で福島県の避難区域から神奈川県に避難するなどした60世帯175人は、生活の基盤を失い精神的な苦痛を受けたとして、国と東京電力に慰謝料などとして、総額およそ54億円の支払いを求める訴えを起こしていました。
裁判では、国と東京電力が大規模な津波を事前に予測して被害を防ぐことができたかなどが争われました。
20日の判決で、横浜地方裁判所の中平健裁判長は「国は、過去の地震を考慮して試算した津波の高さについて、東京電力から報告を受けた平成21年9月の時点で、津波によってすべての電源が喪失することを予測できた。対策を取っていれば事故を回避することもできたはずだ」と指摘しました。
そのうえで「実質的に津波は来ないとみなし、具体的な安全対策をとらないとした判断は著しく合理性を欠く」などとして、国と東京電力に原発事故の責任があると認定しました。
また、裁判で、避難指示の区域以外から自主的に避難した人への賠償額について国の示した指針が上限となるかどうかも争われましたが、20日の判決は「住民たちは将来、がんになったとしても、放射線の影響かどうかわからないまま生活を続けることになる。そのような場合の精神的損害の額を、指針の定める限度と認めることはできない」と指摘しました。
そして、国と東京電力に対し、原告のうち152人に合わせて4億1900万円余りを賠償するよう命じる判決を言い渡しました。
福島の原発事故をめぐり、国と東京電力を相手取った集団訴訟は各地で起こされ、おととし以降、1審判決が相次いでいますが、国の責任を認める判決はこれで5例目となります。
原告団長「国は全面救済を」
判決の言い渡しのあと、裁判所の外では弁護士らが「勝訴」などと書いた布を支援者に向けて掲げました。集まった人たちからは喜びの声が上がったり拍手が起きたりしていました。
福島県南相馬市から避難して裁判の原告団長を務めた村田弘さんが判決のあと取材に応じ、「われわれの主張が基本的に認められ、国の責任については明確に認定された」と判決を評価しました。そのうえで「東日本大震災以降の8年間は長くつらい期間でしたが、黙っていれば、なかったことにされてしまうという避難者の気持ちが一つになったと思います。原発事故は国と東京電力の手落ちによる人災だと思うので、国は避難者の全面救済に立ち上がるべきだと改めて要求したい」と涙ながらに訴えました。
判決のあと、原告の弁護団が記者会見し、「国と東京電力の責任が司法の場において認められた今、これまで進めてきた賠償や対応を根本から改め、被害者が原発事故前の生活基盤を取り戻すための完全賠償と諸施策を速やかに実施するべきだ」とするコメントを出しました。
そのうえで、黒澤知弘事務局長は、同じような裁判で国の責任が認められるのが5例目となった点について「国にも責任があるという1審段階での判断は定着したと言え、意味のある判決だ」と述べました。
一方で、弁護団は、認められた賠償額は十分とは言えないとして、原告ごとに理由などを詳しく分析し控訴するかどうか検討するとしています。
東京電力「今後 内容を精査」
東京電力は「当社の原子力発電所事故により福島県民の皆様をはじめ広く社会の皆様に大変なご迷惑とご心配をおかけしていることについて、改めて心からおわび申し上げます。横浜地裁で言い渡された判決については、今後、内容を精査し対応を検討して参ります」とコメントしています。
原子力規制庁「主張 理解得られなかった」
原子力規制庁は「原告の損害賠償請求の一部が認められ、国の主張については裁判所の十分な理解が得られなかったと考えている」とコメントしています。
原告の女性「率直によかったしうれしい」
東日本大震災からまもなく8年となる中で言い渡された20日の判決。
避難生活を余儀なくされてきた原告の女性は「国と東京電力の責任が認められて率直によかったしうれしい」とほっとした様子で話しました。
福島県富岡町出身の小畑まゆみさん(59)は、福島第一原発の事故で住んでいるところが避難区域に指定されたため、神奈川県葉山町にある夫の実家に身を寄せました。
小畑さんは、かけがえのない暮らしを一瞬にして奪われた思いを知ってほしいと、6年前に提訴に踏み切り、29回の審理に毎回欠かさず足を運んだほか、意見陳述などで2度、法廷にも立ちました。
法廷で聞く国や東京電力の主張には憤りを覚えることも多かったということで「勝手に住めなくされたのに、被告に悪びれた感じがなく、情けなくなることもありました。事故の重大さを軽く見ているのだと思い、涙もかれました」と振り返りました。
ふるさとに戻る見通しが立たず、避難生活が長期化する中、小畑さんはおととし、富岡町にあった自宅を取り壊す決断をしたということで「20年ほど暮らし、思い出が詰まった家を壊すのは悲しいことでした。原発というのは一瞬で生活をだめにするということを痛感しました」と話しています。
今回の裁判を通して、小畑さんは、避難した人たちの複雑な思いや苦しみをくみ取るものにしてほしいと願っていました。
そして、20日の判決を受けて、「国と東京電力の責任が認められて率直によかったし、うれしいです」と、ほっとしたように話し、「国と東京電力には控訴せずに判決を受け入れてもらい、裁判はこれで落ち着いてほしいです」と求めました。【NHK】